lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

全ての分野で出来ることではないにしても。

私はなぜ大学院で学ぶことにしたのか?――かつて受けた教育は「宝の持ち腐れ」

学部時代のミクロ経済学は身近な存在であったが、大学院レベルのミクロ経済学では最初から微分偏微分、合成関数など、15年以上前にやった高校数学の知識をガンガン用いる必要が出てくる。高校時代に微分の授業を受けていた時は、「こんなの現実の世界とどう関係あるんだよ?」と思っていた。微分をしてグラフの傾きを求めると聞いても、傾きを求めるメリットが全く分からなかったので、微分の授業はひたすら記号と規則との格闘だったわけである。
もし高校当時に、「微分を学ぶと、将来経済を理解する時に役に立つ。たとえば、ある2つのモノ(リンゴとミカン)から人々が得られる満足度を考えた場合に…」のように微分を学ぶことの意義を少しでも説明されていれば、少しは取り組む姿勢も異なったかもしれないと思う。

私の知る高校数学教師は,ほぼ全員が,教科書を開かせて,ひたすら黒板に式やらグラフやらを書きまくり,それを生徒が書き写すという作業の繰り返しという授業でした。
一応何か説明を口にしていたような気がしますが,残念ながらlionusの能力では書き写すのに精いっぱいであまり耳には入っていませんでした。
大学で教える機会を持たせていただいている今から振り返ると,何度も同じことを黒板に書き口頭説明をするという繰り返しは体力を使うかもしれませんが,頭脳労働的には結構楽なお仕事だったのではないかと思う次第です。
ただ,高校の先生は授業以外にも雑用がアレコレとあるはずなので,全体としての大変さでは帳尻が合うのかもしれないです。
進学を最終目的とする学校なら,以上のような授業でも「大学受験のため」という名目で生徒はついてくるでしょうが,そうでない学校ならば苦行以外の何物でもありません。そーいう学校って,日常の授業はどーなってるんでしょう・・・
どの科目であっても,高校教師が以上のような黒板模写形式の一斉授業で日常業務がこなせているとすれば,それは大学受験という関門が存在しているお陰といえるのではないかと感じました。

微分に限らず我々は高校教育まででたくさんの有益なことを学んでいる。しかし、それをもとに実社会の現象の理解促進が可能ということまでは教わらなかったので、知識が頭の片隅で無駄に凍結してしまっているのである。これは非常にもったいない。

もったいないという点では,3年間という時間も黒板模写で過ごしてしまうにはもったいなかったです。
でも,本来なら有益なことが教育過程の中には詰まっていたはずなのでしょうね。
ただ,それを生かすには,教える側にそれなりの見識と教養が要求されます。
上記の数学の例でも,数学教員の免許を得る過程には,経済学の科目は必要ではありませんので,微分積分が経済学で役に立つなんてことは数学教師で知っている(実感している)人はあまりおられないのではないでしょうか。
大学での教職課程では当該科目の知識見識をしっかり学ぶことは当たり前ですし,それで手いっぱいでしょうが,10年毎に受ける必要があるという免許更新講習では,上記のような実社会との関連を踏まえて教えられるような見識と教養を広げられる内容があったりすると面白いのではないでしょうか。