3・11とメディア―徹底検証 新聞・テレビ,WEBは何をどう伝えたか―
3・11とメディア 徹底検証 新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか
- 作者: 山田健太
- 出版社/メーカー: トランスビュー
- 発売日: 2013/03/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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したがって,WEBについては手薄かな〜と思ったのですが,要所はきちっと押さえている印象でなるほど,なるほど〜という感じでした。
例えば,「ダダ漏れ」について:
p.113 今回の震災時における東電・保安院の合同会見でもあったように,インターネットメディアが会見をカットなしで生中継する時代が始まっている。それは,従来の会見が特別な地位の人に限定され,一部のマスメディアにその情報の所有が限定された時代との大きな違いである。
いまや,記者会見を広く一般市民が共有する時代がやってきたのである。同時に,その会見内容をいかに理解するか,という新しい課題を突きつけられることになる。たとえば,前出の東電会見は夜遅く延々と三時間以上続くことも珍しくなかった。私たちは,そうした臨場感溢れるオンタイムで見られる幸せとともに,見続けなければならない苦痛を味わうことにもなる。しかもその情報は,誰が解説してくれるわけもなく,いわば「ダダ漏れ」会見と称されるような情報発信の結果を生んでいる。
このような,検証なしのダダ漏れ報道の拡大が指摘される中で,SNSは,プラットフォームとしての場の提供にとどまらない,責任ある立場に変わってきているのであろう。もちろんこれに対しては,一切の論評を加えない,無色透明の「伝達」を行うプラットフォーム・メディアとしての価値を重視する考え方もある。しかし一方,こうした生の言葉が飛び交う状況で,論理より感情に訴えたり,本質以外の偶然目についた事柄で,議論が左右される事態が生じるという面も否定できない。
p.114 生中継あるいは恣意性をさしはさまない報道,さらには市民参加の記者会見など,ネットメディアの新しい取材・報道手法は,現時点ではネットの世界のみならず,従来のマスメディア報道に飽き足らなかった層にも,好意的に受け入れられている。しかし,ネット情報をベースに新聞・テレビ報道がなされることが増えて,既存メディア(とりわけテレビ)とネットメディア間で情報の「使い回し」が生じ始めていることは,いわばゲートキーパーなしでの無責任な情報の拡大再生産を生みかねない。