lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

災害に強い情報社会―東日本大震災とモバイル・コミュニケーション

NTTの”中の人たち(モバイル社会研究所)”が書いておられるので、基本的には、災害に強いインフラを作り維持するにはどうしたらよいか、という視点から書かれています。
被災地に研究所としてボランティアベースでリサーチに入られた記録とそれについての考察は読みごたえがありました。

pp.259-260 災害対応について考えてみると,被災者を含む一般市民が,いかに能動的な存在であるとみなすかが,効果的な支援を実現するうえで重要であることが見えてくる。すでにみたように,通信設備が損壊した被災地では,人間がテクノロジーの代替をすることにより,情報の伝達をおこなっていた。もし,被災者が受動的な存在であるとみなすならば,情報空白を埋めるうえで被災者がやっていることを支援するという観点は芽生えず,解決可能な情報空白が放置されることになる。エリートパニックは,被災者を悪とみなすことで起きるが,そこまでいかないにしても,被災者を受け身の存在とみなすことで,支援が実現される可能性が一部失われる。

上記「通信設備が損壊した被災地では,人間がテクノロジーの代替をすることにより,情報の伝達」というのは、本書で出された事例によると、次のようなものがあったそうです。

  • 携帯がつながるところの情報を共有,そこまで行きメールの送受信をする
  • 災害対策本部に行って話を聞いてくる
  • 自転車で新聞を買いに行く
  • 避難所が(上記のようなアナログな方法で集められた)情報集積地になっていた
  • 津波被災していない内陸では電話が通じたので,内陸の人に伝言を頼む

p.261 被災した状況においても生活者は能動的な存在である。この前提を持つことは,人間に対する極めて楽観的な捉え方である。ここでは,いかに楽観的な人間観を持つかが,支援を効果的なものにするうえで重要だということがいえる。ただし,それは災害そのものの被害を過小評価したり,被災を楽観的に捉えたりするものではない。いうまでもなく,東日本大震災の被害は甚大である。このことを踏まえ,事実は悲観的な姿勢を,人間には楽観的な姿勢を取ったうえで,「悲観的な事実を乗り越えられるほど人間はたくましい存在である」と見ることが,支援をおこなううえで重要なのである。そして,そうした見方に立脚し,好意,思いやり,気前の良さ,利他性が発揮されたコミュニケーションがおこなわれることで,社会の力が生まれる。その結果,初めて災害に強い社会が形成されるのではないだろうか。