lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

昨日のごとく 災厄の年の記録

昨日のごとく――災厄の年の記録

昨日のごとく――災厄の年の記録

なかなか面白いつくりです。阪神淡路大震災から1年間のその時々についての中井先生の手記と,それに対応した他の方々の寄稿がペアになって収録されています。
「神戸を歩いて東京を考える」(六反田千恵)

p.53 結局いかに大掛かりな計画をぶちあげて都市の機能を守ったとしても、実際の災害時には、私の家族、うちのお父さんというようなパーソナルなレベルで救われなければ意味がない。10人中5人が助かったシステムと9人が助かったシステムのどちらが優れていたかというようなことは、当事者にとってはまったく愚劣な問題である。「うちのお父さん」が助かることこそ重要なのである。しかしマクロなシステムは、この5人か9人かというところで勝負するのであり、最大公約数としての結論を下さなくてはならないという、構造的にけっして賢くなれない存在なのである。今回の震災の教訓として、こうしたキメの細かいフォローや都市づくりの重要性はいくら強調されてもいいと思う。

「televized catastrophe(テレビ化災害)」

p.169 長年神戸に住んだ人、青春の地が神戸であった人、親族が神戸にいる人は全国に多い。実際に、神戸から転出した知人がかつて過ごした街が燃えるのをテレビで見て心身症を起こした例を私は知った。また、過去の災害によるPTSDの再燃がみられた。戦争災害の記憶の再燃は特に空襲体験者がよく語った。1959年に伊勢湾台風によって大被害をうけた名古屋に神戸震災への関心が深く、義援金が格段に多いのは伊勢湾台風Flash backであると私は思う。このように、ある意味では、この列島に住む全員が多少とも被災者ということができる。それは日本最初の大規模なtelevized catastrophe(テレビ化災害)であるという、今回の災害の性質によって強化されたものであろう。

本書も,中井先生による文章を再編集して,『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』として再出版されています。

復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録

復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録