lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

だからこそ,自分にフェアでなければならない。プロ登山家・竹内洋岳のルール

SWITCHインタビュー 達人達(たち)でフリーダイバーの人と対談していた登山家の人かあ,と書棚で見かけて思いだし,これも何となく読んでみました。
写真家の著者が,一緒に天狗岳を登りながらインタビューしたものをまとめた本です。

  • 運は存在しないというのが,私の山登りです。

p.28 運は存在しないというのが私の山登りです。運で片付けてしまうと,その先考えようがなくなっちゃうわけです。そこで思考が停止してしまいます。
p.29 頂上まで登って下りてくる自分を,ちゃんと想像できた人しか登って下りてこられないわけです。さらに死ぬという想像さえもできるかどうか。

けれども,こうも語っておられます。

p.30 ただ必要な運っていうのもあると思うんです。運という存在も必要だと。例えば誰か大切な人が本当に不可解な,想像しえない,一般的には起こりえない事故で亡くなったりしたときに,それをどうしてなんだって考えると思うんですよ。でも,きっとわからない。答えが出ない。そのとき,それは運が悪かったんだと思うことで,救われることもある。だから私は運を否定はしないです。

  • 経験は積むものではなく,並べるもの。

pp.60-61 8000メートルを超えると,経験は役に立ちません。むしろ,余計だという気もするのです。経験を持ち込んでしまうっていうのは,非常に危ないと思います。何故ならば,同じ山は二つとないからです。
p.61 ただ経験っていうのは,持ち込んで積み上げると楽になるんです。前回こうだったから,今回もこうなるはずだっていうことを考えなくてよくなるので,楽になるのです。人はそうしたくなるのです。
p.61 だけどそれをするのはとても危険です。経験を積んだ分だけ想像しなくなるからです。何より,正直いってつまらない。

こちらも,また方向を変えてこう語ってもおられます。

p.62 一方で,リアリティのある想像は経験からしか生まれません。
p.62 そういう意味では経験はいっぱいした方がいい。そうするとリアリティのある想像が,たくさんできるからです。

それ以上でもそれ以下でもない,現実を正確に見切って動かないと,即,死につながる登山をされている方の言葉は印象深いです。