戦国誕生 中世日本が終焉するとき
- 作者: 渡邊大門
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/05/18
- メディア: 新書
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新書だけれども学術論文的な書き方が濃い先生なので,これも読みづらいだろうな〜でも結構”定説”に新しい切り口を提示するやり方はなかなかいい感じだったからな〜と思いつつ,読んでみました。
だめ将軍の失政が続き,室町幕府やら朝廷やらの権威がうやむやよれよれになっていく一方で,京都にいる公家の領地はそこを代わって管理している人間に実効支配されるようになり,京都にいる人間=公家,朝廷,室町将軍は所領からのアガリが入らずカネコマになり衰退していく・・・といった様子がよく分かりました。
登場人物多過ぎで敵味方がしばしば入れ替わるので話を追うのは大変でしたがw
(「形式」から「実体」の時代へ)
p.267
従来の一般的な考えでは,戦国のはじまりは早くても明応の政変(明応2年・1493)または北条早雲が堀越公方足利茶々丸を殺害(延徳3年・1491)の件とするものが主流の考え方であったと思う。しかし,中央政府である室町幕府の衰退,それに伴う各地での紛争激化,将軍,天皇,守護などの空洞化という,「戦国」的状況をもたらした要因を勘案するならば,十五世紀半ばをその画期とみなすのが妥当であるように思える。そして,それは将軍,天皇,守護がある意味で理想的に機能した時代の終焉を意味し,戦国のはじまりを告げるとともに中世日本の解体の端緒でもあったのである。
形式にとらわれない現実的な武家の思考の具体的エピソードとして,いよいよカネコマになった朝廷で,後柏原天皇の即位の礼が長い間行われなかったことに対する,細川政元の発言が紹介されています。
p.266
即位の礼に多大な経費を要したことはいうまでもない。儀式挙行のために奔走などしなくても,天皇と認識されていれば,それでよいのである。「形式」に多大な経費をかけることを諌め,「実体」を重視する思考へと変化を遂げていたのである。
そしてこのような,「実体」重視の思考が下剋上にもつながっていった,とも述べられています。