経済学 わが歩み―学者として教師として―
経済学 我が歩み: 学者として教師として (シリーズ「自伝」my life my world)
- 作者: 小宮隆太郎
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2013/10/30
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
本書はタイトルに「学者として教師として」とある通り,研究者としての「歩み」を語るのみならず,ゼミ運営についてまるまる1章分*1語っておられるところが特異的だと思いました。このシリーズの他の執筆者の場合,研究者としての自分の歩みが中心で(まあ本の趣旨からすれば当然ですが),その中でちらちらと大学教師としての姿が見えるような書き方になっていることが多いのとは対照的でした。
p.104
経済学者の仕事には,大きく分けて「学習」「研究」「教育」「啓発」の四つがある。東大では「研究」と「教育」が学者の本分と考えられていた。「学習」段階でひらめきに出合わないと「研究」には進めない。「啓発」は誰かがしなければならないが,各人が携わるか否かは自由である。
p.104
私は経済学では「啓発」も大切だと思ってきたが,一番大切な仕事は「研究」だと考えてきた。「論争」にも「研究レベル」と「啓発レベル」があり,私の場合はほとんど啓発レベルだったと思っている。ただ,日本の経済政策論議がアメリカで学んだ標準的経済学からみてあまりにも見当違いだと思って,時折熱心に「論争」したのだ。
「研究」を一番頑張っただけでなく,「教育」も「啓発」も頑張った,と回想しておられる背景には,東大で職を得た直後アメリカに留学されたときの経験が大きいように拝見しました。
p.84
経済学という学問は,理論を習っても実際にそれを使えなければ意味がないと私は思う。現実の経済に対して理論を使うことは,経済学を理解する上でもとても重要だ。
p.85
アメリカの経済学者は,常識では簡単に理解できない経済現象を,経済学的に分析してよく理解し,その理解を初心者にもわかるように説明するという基本姿勢を持っていた。私は三年間の留学で,そのような姿勢や学者としてのスタイルに染まって帰ってきたのである。
そして日本の経済学者(&経済学教育)は,現実と遊離している,として本書の中で何度かその点について批判されておられます。例えば:
p.86
都留重人先生は,私が最初の渡米から帰ったころ,「経済学学」という言葉を使って経済学者を批判されていた。日本人の経済学者は「経済」を学んでいるのではなく,「経済学」を学んでいる。だから,「経済学学」だというのである。
(太字はlionusによる)
*1:「第9章 ゼミで教育に力を注ぐ」→春学期にはこれこれをして,秋学期にはなになにをして・・・と具体的に書いておられる。