lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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会社がなぜ消滅したか―山一証券役員たちの背信(点火された爆弾を手渡された最後の社長。)

会社がなぜ消滅したか―山一証券役員たちの背信

会社がなぜ消滅したか―山一証券役員たちの背信

「社員らは悪くありませんから」の泣きながらの記者会見が有名な、山一証券の破綻に至るドキュメントです。読売新聞の連載に追加取材されてまとめられたものです。
登場人物は多数で頭の中で確認しながら読み進めるため、それなりに読むのはしんどいのですが、小説のような描写が巧みで(さすが新聞記者の筆によるもの)ぐいぐい読ませます。
会社ぐるみの「犯罪」がいかに簿外債務を2千6百億円まで膨れ上がらせ、会社を消滅に至らせたか丁寧に記述されています。
それにしても山一最後の社長となった野澤氏を社長に指名した、当時の行平会長と三木社長(ともに逮捕・起訴、有罪判決を受け刑が確定;故人)は一体何を考えて当人を選んだのでしょうか。
傷口を広げるだけ広げておいて、あとはどうなるか、破滅に向けてのカウントダウンが始まった会社の始末(当人たちはまさか会社がつぶれるとまでは思っていなかっただろうから”後”はつけない)を、何も知らない(野澤氏は簿外債務のことは知らなかった)営業叩き上げの実直な人に丸投げしたとしか、本書を読む限りでは思えないと感じました。とほほ。
しかし、それなりに人選は間違いではなかったとも思いました。
まず、あの有名な記者会見で「社員らは悪くありませんから。悪いのはわれわれなんですから。」と泣きながら訴えたことが、世間の山一社員たちに対する印象*1をやわらげ、社員たちの再就職にプラスの影響を与えたことです*2

p.231
野澤は記者会見場の東京証券取引所に向かった。ほとんど寝ていない野澤は車の中でも「大丈夫かな」と呟いていた。部下の一人がこう言って励ましている。
「最後は社長、自分の言葉ですよ。それでいいんです。だけど社長、社員のことだけは忘れないでください」

p.231
午前11時半、会見が始まった。質問が出るたびに立ち上がり、記者の質問に丁寧に答えようとする野澤だが、しばしば言葉にならなかった。

p.232
営業現場上がりの野澤は、もともと記者会見のような目立つ部隊が苦手だ。明け方まで発表文や想定問答集を暗記しようとしたが、努力が報われたようには見えなかった。

p.232-233
それでも、野澤は部下の進言を守った。報道陣の質問も尽きかけたころ、唐突に立ち上がり、マイクを握りしめた。
「社員らは悪くありませんから。悪いのはわれわれなんですから。お願いします。再就職できるようお願いします」
マイクが割れるような大声だった。野澤は泣いていた。泣きながら何度も頭を下げる姿に、記者たちは声もなかった。それだけは台本にない野澤自身の言葉だった。(やっと野澤らしさが出たな)。右隣の五月女は両目に涙をためながら、そう思った。

もうひとつは、後年の所謂第三者委員会のさきがけとなった、(最終的には外部の弁護士も入れた)社内調査委員会の設置を指示したことです。

p.242
調査委員会を設置したい、と言い出したのは野澤である。山一証券自らの手で、営業休止となった簿外債務の実態を解明し、最後のけじめをつけようというのだった。

この調査委員会については、本書ではその働きは高く評価されています*3

p.242
野澤の実直さはこうした場面で時折、発揮されるのである。

後から思うとこの人でなくてはならなかった、というケースなのかもしれません。

*1:証券会社が破綻するということは、お客から預かっている資産を危うくすることですから。

*2:こう書くと”泣き”の会見がまるで計算づくだったようにみえるかもしれないが、以下引用を読むとそうではなく、結果的にご本人の人柄がそのまま出たように感じられる。

*3:調査委員会が出した報告書は3つあったとされていますが、その2つは残念ながら公表されませんでした。公表されている1つの報告書はこちらからpdfで読めます