lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

生兵法は怪我の元?

少し前から,OECDの学習到達度調査(PISA)の結果から学力世界一と名高い,フィンランドの教育に学ぼうという動きがあるのは承知しておりました。
関連書籍もいろいろ出版されているようです。

図解 フィンランド・メソッド入門

図解 フィンランド・メソッド入門

lionusは読んでいません(すみません)が,内容を要約した記事等を以下に挙げておきます。
フィンランドメソッドについて
フィンランドメソッドで表現力を高めよう!
asahi.comの記事では手放しのほめようです。
比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド
フィンランドの教育は子どもが主体的に楽しんで学ぶことができてしかも学力世界一だが,日本は知識偏重の詰め込み苦行の反省から,「ゆとり教育」に移行したところ,学力低下が指摘され,右往左往している,情けない!という感じの流れに読めました。
まあ,日本の教育についてのよくある論調って感じです。
事実結果が出ているのですから,「フィンランド・メソッド」は素晴らしいのだろうと思いながら,日本での取り上げられ方に何か違和感があるなあ・・・とずっと感じていたのですが,何がキモチ悪いのは自分でも分かりません。
でも,偶然以下の記事を読んで,何が違和感なのかちょっと手がかりが得られたような気がします。
“塾”も“競争”もない世界一の「教育大国」

どの生徒も小学一年生からして、「帰宅後すぐに宿題をすませる」ことの方が注目に値するのではないだろうか。所要時間は30分前後という無理のない量だが、毎日の宿題をやらない、あるいは、やり忘れる生徒はほとんど皆無だという。

これだけ聞くと大・大びっくりですが,読み進めると,

フィンランドは、25歳から54歳までの女性の就業率が81%と、欧州屈指の共働き社会だ。

宿題とは、親に促されてやっと手をつけるのではなく、親が帰ってくるまでにもうやっておくもの――各家庭でそういう躾がなされているのだ。共働きが当たり前の社会では、子どもの自立をのんびり待っている余裕などないのである。(太字はlionusによる)

日本人とフィンランド人(北欧人あるいは西欧人)の自立心レベルの違いが大きいようです。
先に紹介した,asahi.comの記事にも,現地に居る日本人の声の中に,その一端が垣間見られるように思いました。

「他人と比較して上か下か、という考え方をしない。私自身、初めてこの国に住んだ中学生のころは、意識の違いの大きさに戸惑った。個人主義が徹底された社会が背景にあるのだと思う」

http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200502250173.html

個人主義」は人は人,自分は自分というスタンスのことを指すのだと思いますが,その前提として個人の自立(自律)があるはずです。「競争がない」というと何だか素敵なユートピアのように,根っからの日本人であるlionusは瞬間的に思ってしまいますが,「競争がない」ということは,誰かに決めてもらったモノサシに依拠せず,自分の判断基準で身を立てていく必要があるということが,その裏面に貼り付いているような気がするのです。
「受験競争」のような競争はフィンランドにはないかもしれませんが,「大きくなったら自分で身を立てて生きていく」という意味での「競争」はあるはずです。というか,なかったらおかしくありませんか?
あと,「受験競争」ではないが,心理的「圧力」の存在はあるようです。

また、フィンランドの学校では、生徒が留年してやりなおしができる落第制度があるという点が、日本のメディアでは大きく評価されているようだが、この制度は、パイヴァコティ(保育園)の時からすでに始まっている。

新学期が始まってしばらく、子ども達の間では、どの子が上のクラスに行けたか残ったかで話題が持ちきりだ。親にとっても、たかが保育園、プリスクールとはいえ、同じクラスで一年やり直しというのは決して小さな問題ではない。システムや制度はどんなものであれ、競争心のない集団などあり得ない。。いくらのんびりしたフィンランド人とはいえ、周りから遅れをとっても、カエルの面になんとか、というほどまでお気楽なものではないということを、釘刺しておきたい。(太字はlionusによる)

学力世界一は,「フィンランド・メソッド」という”方法”だけでなく,物心つかない頃から始まる「留年してやりなおしができる落第制度」という”制度(システム)”など,他の要素も寄与している(可能性がある)ことを見落としてはいけないと思いました。
ところで,日本でも,義務教育の段階からやりなおしのできる落第制度を取り入れたらいいと,ずっと感じています。
だって,本意か不本意かに関わらず「落ちこぼれ」ても,学年だけは進んでいって卒業できてしまうとしたら,学びへの動機づけという点からは非常にネガティブな状況ですから。
追記===
落第制度を取り入れるにしても,「つまづいた」子どもへの手厚いサポートシステムがないままでは,意味がありません。言葉足らずだったと思い,補足します。
google:フィンランド 落第制度で検索してみたら,落第制度があるにしても,「つまづきがちな」「つまづいた」子どもへの丁寧なサポートシステムがあることがうかがえます。
例えばこの記事とか:
藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その5

 もっとも、「留年」やむなしという判定に至る前に、授業についていけない子どもへの徹底的な個別フォローがあります。日本の「習熟度別クラス」なんてみみっちいものではなく、あえて比較するなら、特別支援の通級みたいなマンツーマンに近い指導でフォローしているわけです。もちろん、先生の数は、藤原校長も書いておられるとおり、日本の倍近く配置されているわけですが、しっかりした指導ができるように、時間差登校なども行なって少人数の指導体制を確保してもいるわけです。すべて一律ではなく、あくまでも子どもの力に合わせた指導を行なうということでしょう。
 また、ホームスクールでの学習も認められているそうです。
 ただ、就学の先延ばしや10年生進級に関して、その状態を「落ちこぼれ」と認識しない文化風土がフィンランドにはあるようですから、義務教育期間中の「留年」も場合によっては子どもの権利の一つとして認識されているかもしれません。また、同時に「子どもの学習義務」という考え方もあるようですしね。