lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

まさかの墜落(最後かつ最大のリスクは人間。)

去年の4〜5月頃,読んでいた『墜落』シリーズの筆者による最近の本です。

まさかの墜落

まさかの墜落

『墜落』シリーズのように,それぞれの航空機事故について,事故調査報告書等からの情報を筆者がまとめてケースレポートの体をとっています。
それぞれのレポートでは,筆者の主観や意見は極力排し,淡々とした記述に努めたという旨のことが序章で記されています。
また,序章では

不可解な事故が起き始めた

これだけ飛行の安全が喧伝されている時代,なぜ燃料タンクが爆発するのか。貨物室ならいざ知らず,なぜ天井裏に火災が発生するのか。
それは新しい事故の「流れ」の始まりなのであろうか。

と記してあり,「でも『墜落』シリーズでも色々な原因による事故が扱われていたし,不可解な事故って,それらの事故とどう違うの?」と思いました。
しかし,ページを読み進め,それぞれのケースを読むうちに「あ,これは確かに違うかも」という”感じ”が分かってくるような気がしました。
「(素人でも)常識的に考えてこれはあり得ないだろう」
という感じの事故がぼちぼち発生しているという印象です。
本書で扱われている事故は,「第一部 人が設計する怖さ」と「第二部 人が操縦する怖さ」の2分類されているのですが,双方に共通するのは「人」というキーワードです。
技術が進歩して機械としての”安全性”が増してくると,残ってくる問題は”人間”に集約されてくるということだと思いました。
終章はなかなか興味深いことが書かれています。

なぜ,滅多に起きない事故が起きるのか。それは飛行が一般化し,飛行の回数と,それにかかわる人間の数が増大した必然の結果である。
すなわち,長期間飛んでいれば(さらに経年機には機材の劣化も加わり),非常に稀なことも起きる。
(中略)
一方,かかわる人間の数の増加は,技量の劣る人が紛れ込む可能性を増す。第二部に現れる呆れるほどの操縦は,その例ではないか。

lionusは飛行機は「運転」したことがありませんので,本書を読んでほぉと思うだけですが,コンピュータにも当てはまるお話かと・・・
筆者はもうひとつ視点を提供しています。

かつて航空機は,パイロットが思うままに,個性的に飛んだ。しかし1960年ごろから,次第にオートパイロットの使用が普及した。緊急時や荒天時を除くと,旅客機のパイロットは,個性を出すことができなくなった。
いま旅客機は,穏やかに安全に飛ぶ。これがエアラインの使命となった。そのためには,パイロットは個性を押し殺さなければならない。貨物機の事故は,その鬱憤をはからずも垣間見させているのではないか。
もしこの予想が正しければ,個性を押し殺して飛ぶことは,やはり安全の一大要素なのではないかと思う。

上記引用箇所だけでは分かりづらいと思いますので,補足しますと,貨物機にどうも「まさか」の事故が多い傾向があり,貨物機には技量の劣るパイロットが搭乗する傾向があるのではないかと,知人の機長に話したところ,そうではなく,人を乗せて飛ぶのと,荷物を乗せて飛ぶのとのプレッシャーの違いだと指摘されたということです。
言い換えれば,人を乗せて飛ぶときには「個性を押し殺した」操縦をするが,貨物機の場合はそれより自由度というか自己流な操縦をする傾向があるということです。
素人から考えるとそれはどうなんだろうと思うのですが,ほんのわずかな心理的要素の違いが,事故発生率の違いにつながっているということになります。
やっぱり一番怖いのは人間です。