lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実(悲嘆と救援者の心的外傷と。)

墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実

墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実

大学図書館内でぼうっと歩いていたら,背表紙が目に飛び込んできたので,読んでしまいました。
著者は警察官として日航123便御巣鷹山墜落事故の対応に当たった方です。退官後,遺族および事故対応に携わった自衛官や医療関係者等への取材内容をまとめたのが本書です。
ひとりの人間として読むだけでなく,心理屋としての視点からコメントするとすれば:

  • 突然さとその人の死の状況の悲惨さを考慮する限り,遺族の悲嘆の度合いは非常に高いレベルにあるであろうケースの長期的過程に関する記述。
  • 救援者の心的外傷と,その長期的過程に関する記述。

以上2点において,学術的ではありませんが,対象に寄り添った生々しい記述という点で非常に興味深い記録であると感じました。
不眠不休で4名の生存者の治療に携わった上に,検死活動への協力まで要請された看護師さんの証言は貴重です。
少し長くなりますが,引用します。

ものすごく巨体の外国人男性が運ばれてきた。その場の若い看護婦が私に『どうしたらいい?どうしよう……』と助けを求め,立ちすくんでいる。肥満した腹部は引き裂かれ,内臓が二畳ほどのビニール布の上に広がっていて,戻しようがない。顔面の形はなく,大腿部も付け根部分から引きちぎれそうだ。ビニールシート一面に,山土と,死体から出る黄色い脂が溜まって,滑る。脂は,タオルで拭きとっても,すぐに腹部や大腿部の傷から流れ出て,床に広がる。

彼女は,「外科で長く働いていたのに……あのときの状況があまりに凄惨でして……。ショックが強すぎたんでしょうね。精神的に立ち直るのに二年ほどかかりました」と言う。
「誰かに話をするか,何かを書いていなければ,頭が狂っちゃうような気がして……。自分が怖いんです。家へ帰ると,主人を相手に話しまくりましたよ。何かに憑かれたように,べらべらと……。主人はその都度,うなずきながら聞いてくれました。ときには手を握りさすってくれたり。肩を抱いてくれたりしながら……。二ヵ月以上も……毎日のようにです。本当に救われましたね。
デパートでも電車の中でも,すれ違う人でも,太った人を見ると……ああ,あの人の遺体……と想像してしまうんです。頭に焼きついているんです。
食事には苦労しました。脂のちょっとでもついた食事は駄目。肉は一年以上も食べられなかったですね。ソーセージのように,肉を加工したものも駄目です。魚も駄目。魚の焦げた匂いが……似てるんです。かまぼこやちくわのように形が変わっても,連想してしまうんです。
主人は『お宅の奥さん,ずいぶん強いね』と言われたそうです。傍目には気丈に見えたんでしょうね。本当は狂いそうだったのにねえ」

外傷的な出来事の直後のデブリーフィングは,必ずしも有効ではない,という知見が近年あるようですが,親密な関係にある他者に対する「デブリーフィング」に限ればそうではない,とも考えられるような気がします。
まあ,そこまで深読みしなくとも,極めて一般的な知見,つまり,ストレスにはソーシャルサポートが最も有効,ということの証左になり得るケースかもしれません。
・・・ところで,深読みといえば・・・lionusの祖母は広島原爆の被害者,所謂被爆者なのですが,生魚や生焼け=レアのお肉は嫌いで食べません。広島市は瀬戸内の新鮮な魚が豊富で美味しい地域でもあり,生魚=お刺身が嫌い,というのは不思議だなあと漠然と思っていたのですが・・・PTSDの概念を知ってはじめて,それは彼女自身の元来の嗜好かもしれないが,ひょっとするともしかして,被爆体験の影響もあるのではないかと思うようになりました。
でも,それについては今でもよく分かりません。
祖母本人の口から,被爆体験について語られる機会は,まずないからです。
被爆体験は,当然のことながら,「非日常的」な体験です。
祖母と孫=家族という極めて日常的な関係においては,その「非日常的」な性質が高ければ高いほど,語られない傾向が高まります。非日常性は日常を否定する,言い換えれば日常性を壊してしまう力があるからです。
同じ家で寝起きしている家族だったのに,lionusは祖母から被爆体験について聴く機会はまずなかったのは,このような前提があるからだったと考えます。
ただし,一度だけ,祖母からまとまった形で被爆体験について聴く機会がありました。
中学生の頃,「平和学習」の一環で,被爆者の体験を聴取(できれば)するように,と言われたことがきっかけです。
確か,「夏休みの宿題」という名目で,祖母に証言を求めたような気がします。
もう,随分昔のことなので,記憶はあいまいですが,今まで知ることのなかったことがどばっと開示され,拠り所のない無重力状態のような心境に放り出されたような心地になったと同時に,今まで自分が何も知らなかったことに激しく後悔を覚えたことを記憶しています。
語られない,語り得ないことこそが,最も語られるべき事柄であるのではないか,と,思ったりもします。*1 

*1:しかし,語りを強制するる権利は我々にはないのも事実ではある。