lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

脳型コンピュータとチンパンジー学(三人三様の学習。)

脳型コンピュータとチンパンジー学

脳型コンピュータとチンパンジー学

昔読んだのですが,「天才チンパンジー」として有名なアイについて,呼ぶと自分から勉強部屋にきて学習(実験)を始める,つまりやらされる勉強ではなく自分から始めるという自発性が鍵だと,昔この本を読んで思ったようなことを思い出したので,ソースを確定しようと再読しました。
lionusが思っていたような表現では書いてなかったのですが,再読してまた感銘を受けるところがいくつもありました。
アイと同時期に研究所に来て,実験(学習)に入ったマリとアキラのエピソードにより,学習の個人差について述べられているのは興味深いです。
似たような記事が,asahi.comにも載っていました。

学び続けた30年 天才アイのダイアリー
 アキラとマリっていう同い年のチンパンジーも来た。78年4月、「勉強」が始まった。勉強部屋に1カ所ピカピカ光るところがあった。面白いから押してみたら、チャイムが鳴ってリンゴのかけらがでてきた。
 「自分から、勉強をするように仕掛けを作った。強制はしない。私たちに伝わる『言葉』を教えるのが最初の目的。だんだん、チンパンジーの見ている世界をまるごと知りたくなった」(松沢教授)
 靴やコップを見て、対応する図形文字を選ぶ。キーを押して組み合わせが当たるとホロホロホロってチャイムが鳴ってリンゴが出てくる。間違えるとブブーッていうブザーだけ。数字や色も覚えた。ついつい一生懸命になってしまう。マリやアキラもするけれど、興味は違うみたい……。
 「同じ間違いを繰り返さないアイ、間違えるとやる気を失うマリ、ブブーッと鳴ってもへこたれないアキラ……。反応は三者三様。アイは同じ課題でも半分の時間で済むから『天才』といわれるけど、マリはみんなと仲良くするのが上手で子どもをたくさん産んだ。アキラはけんかが強い。みんな能力は偉大で個性があるんです」(松沢教授)

http://www.asahi.com/science/update/0531/OSK200805310030.html

松沢 本当は学習のステップというのは,相手の子供に合わせて,どこまでも細かくできるものを,ある程度,ステップを飛ばした段階でこっちは画一的な教授プログラムを用意するわけです。そうすると,アイのように,どんなに飛んでいてもついてくる子と,マリのように,ちょっとつまずいてしまって,もうついていけない子が明らかになってしまう。
松本 自分を責めてしまうのですね。
松沢 まさに初期経験のところで,ほんのちょっと,ここの段階でいうと,八つの品物の名前を覚えるのにアイは50日のところがマリは120日かかっただけなんです。だけど,そうすると,先生のほうは50日終わった段階でアイが遊んでいるわけじゃないですから,アイならアイに,今度は物の名前を覚えたのだから,じゃあ,色の名前を教えていこうとなる。そうやって,アイのほうはどんどんより短い時間で次の勉強に進んでいきます。マリは出だしのところでつまずいたから,どんどん勉強が遅れていくわけです。
松沢 それは普通の学校の学級で起こっていることと同じなんです。優等生はさらに優等生になり,ちょっと落ちこぼれ,ちょっとつまずくともう取り返しがつかなくなる。それが一日のつまずきを先生が「ワァー,がんばったね」と,翌日,翌々日に支えてくれていればよかったのですけど,一日つまずいて,二日つまずいて,一週間つまずいて,一ヶ月つまずきっぱなしになると,もうついてこれない。そういう現状が先生一人,生徒三人の学級で起こってしまった。

ううーん。きめ細かいフォローをしようとすれば,人的コストがかかる・・・教育は金勘定では難しいです・・・

松本 脳は自分から好きと価値判定する事柄に対して自発的にそのための脳を作っていくので,やらされているのではなくて,やること自体が好きであるとき学習効率が高まる。アイちゃんの場合でも,学習をするとき,その報酬として確かにリンゴのひとかけらはもらうけれども,アイちゃんがあの実験をやること自体に価値を認めていたので,高い学習のレベルに到達できたのではないでしょうか。それが何なのかなというのがさっきから聞いていて,いちばんの興味の焦点でしたね。
松沢 基本的には社会的な称賛,この場合には社会的といっても非常に閉じた系,僕とアイとの関係だけだけど,僕による承認,わが喜びがアイの喜びになっています。それはそうだと思います。
松本 それでしょうね。
松沢 なぜなら,その具体的な証拠は,僕が呼べば,アイはいそいそとやって来る。別に外でアキラやほかの仲間と遊んでいても一緒にいてもいいわけです。でも,やっぱりやって来る。
松本 端的にいうと,やっぱり先生が好きなんだな(笑)。
松沢 端的にいうと,ちょっと違うと思うのですけど(笑)。でも,確かに私が「アイ,こっちへ来て座ってやって」と言えば,リンゴがなくても,干しブドウがなくても,おなかいっぱいでも勉強をやってくれます。非常に不思議には思いますが,やります。ただし,そういうことを続けるためには,勉強が終わった後,中へ入って行って,よくやったと言って遊んであげることがとても大切なのです。何もないわけにはいかないですね。
松本 寂しがり屋なのですか。
松沢 というか,ヒトと同じで,ヒトもチンパンジーもそういう絆なしには生きていけないのだと思います。基本的には先生であり生徒だけれども,別の見方をすれば孤児としてやってきたアイにとっての庇護者であり,庇護される者という関係です。
(中略)
私は常に何かを与え,アイはそれを享受する。そういう立場のなかで培われた関係があるわけでしょう。

ヒトとチンパンジーの「絆」のことが書かれていますが,イヌも同様に「絆」を必要とし,ヒトとの間にそれを形成することができるよね,と読みながら思いました。他方,ヘビなど「ペットとして飼う」ことは可能であっても,「人に慣れない」動物は芸を教えることはまず難しいだろうとも思いました。