lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか(インテリジェンス。)

「インテリジェンス」という言葉を,政治に関連して初めて聞いたのは2001年のアメリ同時多発テロの時,NHKに出ずっぱりだったてっしーこと,当時のNHKワシントン支局長手嶋龍一氏の口からでした。

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

まず,本書での「インテリジェンス」という言葉の定義について以下引用します。

「インテリジェンス」という言葉であるが,これは「情報」や「諜報」の意味から「情報活動」,「情報機関」など幅広い意味合いを内包している。ただし本書の中では「インテリジェンス」という言葉を,「情報」,「情報活動」程度の意味合いで使用していく。
「情報」という言葉自体にも若干の注意が必要である。そもそも英語では「情報」を示す語として,「インフォメーション」と「インテリジェンス」がある。前者はただ集めてきただけの生情報やデータ,後者が分析,加工された情報になる。例えば天気予報において,湿度や気圧配置といったものはデータ,つまり「インフォメーション」であり,そこから導き出される明日の天気予報が分析済みの情報,すなわち「インテリジェンス」である。

イギリスの情報史家,クリストファー・アンドリューによると,このようにインフォメーションとインテリジェンスを厳密に区別するのは,英語に特有のことであるという。仏語,独語,そして日本語には「情報」を示す語は一つだけであり,そこにアングロ・サクソン特有の情報に対する鋭敏なセンスが表れている。
他方,インテリジェンスの本質は,無数のデータから有益な情報を抽出,加工することによって,政策決定再度に「政策を企画,立案及び遂行するための知識」を提供することにある。

『日本の参謀本部』を読んだ時,「作戦部は情報部の情報活動に信頼をおくことができず」「情報活動は,情報部がおこなう謀略活動と作戦部がおこなう軍事情報活動とに二元化し」,その結果,「作戦部の情報分析は,自軍の作戦行動の様式でもって敵軍に対する情報を評価するという楽観主義におちい」ったことが旧日本軍の大きな問題点であったことを知りました。
同様なことが,本書でも上述の「インテリジェンス」という視点から丁寧に述べられています。
さらに本書では,

情報部に求められたのは,インテリジェンスよりもインフォメーションの報告であり,そのようなインフォメーションでさえも政策,作戦部局に恣意的に利用されていた。

と,情報部の地位の低さ(軽さ)を指摘した上で,

当時の政策決定過程において重要視されたのは,情報ではなく,各組織の合意形成であった(太字はlionusによる)。この原因は既に述べてきたように,政策決定過程の煩雑さである。

状況の客観的な分析から得られる考察(インテリジェンス)よりも,根回しで全員賛成することを重視したことの問題点が指摘されています。
著者は,旧日本軍にあった上記の問題点はそのまま現在の日本(の政策決定過程)にもあてはまることを鋭く指摘しています。
現在の日本のインテリジェンスについて研究しようと,米英のインテリジェンスを調べたところ,米英の政治システムは日本のそれと随分違うので,あまり参考になりそうになく,昔の日本について調べたということです。