lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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どうぶつのお墓をなぜつくるか―ペット埋葬の源流・動物塚/犬の現代史(あわせて読むと正反対。)

どうぶつのお墓をなぜつくるか―ペット埋葬の源流・動物塚

どうぶつのお墓をなぜつくるか―ペット埋葬の源流・動物塚

著者は日本には様々な動物の「碑(墓)」があることに着目し,東海〜西日本を中心に独自に調査した成果をこの本にまとめています。
なぜ動物の「碑(墓)」が昔から作られていたのかという背景について,次のように述べられています。

日本人の動物観が,欧米人の人と動物の垂直型・断続的動物観とは異なり,水平型・連続的動物観であることが明らかになった。

動物塚の形式が,縄文時代から現代まで同時代の人墓の形式と同じであることは,日本人の人と動物との連続的動物観を実証している。

日本人は自分たちと動物を連続した”仲間”として,かなり同等に扱っている(観ている)から,お墓を作るし,それも自分たちと同じようなものを,ということのようです。
ところが,この本の次に読んだ本では,日本人の犬(動物)に対する取り扱いについて真逆とも思える見解が書かれています。

犬の現代史

犬の現代史

戦時中,ジャングルを移動している途中で病気になり,動けなくなった軍犬の首に「わずかな食糧を結び」つけ,放り棄てたという旧日本軍のエピソードを例に出し,筆者は次のように断じています。

わずか数行の文章は,日本人の中に共通して流れている犬(動物)に対する扱い方を凝縮して表現している。
ひとつは,日本人は自ら手をかけて犬を安楽死させることができない国民だということを表現している。

他のひとつは,生きながら置き去りにする償いとして少しの食糧を付けるということである。

そしてもうひとつが,自分たちが当事者であるのに文章で表現するとき,「放りすてた」と書かずに「車中から放りすてられた」とあたかも第三者ででもあるかのように受身形に変えて,書いてしまうことである。*1

本書には他にも,犬置き去りの例として映画『南極物語』で有名な樺太犬の「タロとジロ」のエピソードなども挙げています。
それぞれの本の著者の見解は,相反する印象を与えますが,先の本の「水平型・連続的動物観」を基に考えれば,後者の本の見解は前者と矛盾しないと思います。
目の前の犬(動物)に人間にかなり近いレベルで同情してしまうので,自分の手で殺せないし,わずかの食糧を残して去るのだとも考えられます。
後者の本には,文明開化から現代までの日本社会における犬の取り扱い方は,人間の取り扱い,つまり人間社会の映し鏡である歴史がいくつも挙げられています。
神戸の某少年も,殺人を犯す前に動物(猫)を虐待していたと聞きますし,逆に,ペットを「溺愛」する行動も,どちらも「水平型・連続的動物観」が基にあり,根っこは同じであることを示しているように感じました。

*1:上記では能動形で書きましたが,原文はこの引用部分の通り受身形で書かれています。