lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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ヒバクシャの心の傷を追って(放射能災害の悪魔性。)

ヒバクシャの心の傷を追って

ヒバクシャの心の傷を追って

広島・長崎の被爆者の心理学的・精神医学的研究というのは,その出来事の規模の大きさと凄惨さにも関わらず,ごく少数が散見されるに過ぎません。
心理学的というか精神分析学的アプローチとして,R.J.リフトンによる『死の中の生命』(現在絶版)に匹敵しうる研究は,残念ながら日本人研究者によるものはみられません。*1
ただ,久保(1952)の「心理学研究」に掲載された論文*2は,記述的なアプローチながら,心理学者による被爆直後の被爆者の心理・行動に関する調査・分析としては最も信頼し得るものと思われるものです。
この本の著者は,1987年に発表された被爆者の精神医学的研究報告*3の著者の一人であり,2006年のNHKによる調査プロジェクトに企画参加されているようです。
東京で長らく被爆者の医療に携わった経験から,被爆者の「心の傷」「心の被害」について極めて貴重な論考をされておられます。
lionusがあっと思ったのは,被爆者には「記憶の障害」,つまり被爆当時の記憶には欠損や断片化がしばしばみられるということです。その理由として,不意打ちかつ圧倒的な(被爆)体験から心を守るいわゆる「本能的な自我防衛」であったと指摘されていることです。
したがって,被爆者により書かれたもの(手記等)を読むときにはそのことを考慮に入れる必要があることを知りました。
また,「見捨て体験」など,極限状態で他人をいわば「見捨てる」ことにより自分が生き延びた体験が強い自責感となり,それが心の傷として深く残るということも改めてよく理解できました。*4
その他,PTSDを引き起こすとされている出来事と被爆体験とをはっきりと峻別する要因として,放射能被害について繰り返し指摘されていることも重要だと思いました。
lionusは以前,原爆災害の精神医学的・心理学的研究についてレビュー論文を書いたことがあるのですが,今読み返すとその時点までの文献はかなり網羅できていると思うものの,放射線被害への不安と恐怖が日々新たに「心の傷」を刻みつけていくという視点からの論考がありませんでした。漠然とその辺りのことは感じていたもののうまく言語化できず,生ぬるさを痛感しました。
本書では,次の文章がゴシック体で記され,結論として強調されていました。

現在,「心の被害」の中核にあるのは,史上最悪の外傷記憶によるPTSDである。しかも,フラッシュバックをおこすキッカケがずっと続いているという最悪のものである。「続く」のは,原爆被害の中核が放射能被害だからである。放射能による後障害やその恐れが,次々と,新たなる心的外傷を形成するからである。「放射能が一生追いかけてくる」のである。そこに原子爆弾の悪魔性がある。

*1:社会学的アプローチからは,石田忠を中心とした一橋大学社会調査室のグループによるものがあります。被爆者の心理を語る上では必読です。

*2:久保良敏(1952)広島被爆直後の人間行動の研究―原子爆弾原子力社会心理学的研究I―,心理学研究, 22,103-110

*3:野中猛ら(1987)被爆者37例にみられた精神障害被爆後40年の調査―,精神医学, 29, 725-733

*4:阪神・淡路大震災でも,「自分のところは被害が少なくて申し訳ない」「ボランティアに参加しなくて(できなくて)つらい・申し訳ない」等の自責感はしばしば口にされていた。