lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

読むのに2晩がかり。

10歳のワープロ社会(新聞連載)
毎日新聞の記者さんのページで,現役の時書かれた記事を掲載しておられます。昨日の日記に書いたように,和文タイピストについてぐぐっている途中で見つけました。
東芝から初めてワープロが発売されて10年後に書かれた記事のようです。
ワープロの普及後,和文タイピストがどうなったかについて,少し言及されています。

女性2(通算56) 「手に職」世代の転身
取材のときの経過で、実名を出せないので、仮に山田愛子としよう。昭和三十八年、都内の高校を卒業、和文、英文タイプを学び、大手商社に入った。その後ずっと、タイピストとして働いていた。
その山田に、上司がおずおずと「ワープロをやってみませんか」と切り出したのは、入社二十年目の五十八年十二月のことだった。
山田はちょっと複雑な気持ちになった。その年七月から、ワープロスクールに通っていたからだ。
(中略)
上司にウソをつくわけにはいかない。「じつは、ワープロスクールに通っているんです。六カ月のコースですから、もう終わります」と答えた。以後、和文タイプとワープロを併用するようになった。
(中略)
ワープロの仕事は一段と増えた。手書きですむような文書でも「ワープロで打って」といわれたからだ。それでも、ワープロなら何とかこなせる。
和文タイプは、結局倉庫入りした。修理に修理を重ねて使っていた機械だけに、別れのときにはちょっぴり感傷的になった。

このように,和文タイプからワープロに「転身」した例もあれば,ワープロへの切り替えをしなかった例もあります。

女性3(通算57) 和文タイプの昭和史
企業や官庁のタイプ室はなくなったが、街の「和文タイプ」の看板が完全に消えてしまったわけではない。
東京都新宿区若葉一の「加藤タイプ」もその一つ。「棟割り長屋」という言葉がぴったりするような店舗兼住宅でがん張っている加藤美都子は、来年でタイプ歴五十年を迎える。
(中略)
ワープロの影響が出始めたのは六、七年前から。得意先の企業がしだいにワープロに切り替え、注文が減った。残っていたあるメーカーの仕事も、昨年からはなくなった。
いまは仕事の半分くらいが、近くにある文化放送のもの。
(中略)
「タイプ印書」の店のうち大手は、「ワープロ入力代行」に切り替えた。

この記事の加藤さんは,人に薦められてワープロも試してみたものの,なじめずに「一生タイプしかないと心に決めた」ということです。
『「結婚する機会がなかった」という加藤は、和文タイプを通じて昭和史を生きたのだ。』と記事は締めくくられています。