lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

震災と入眠困難とラジオ。

今日は阪神・淡路大震災12年目の日でした。
震災が発生した1995年1月17日は火曜日でした。その時は学部生でしたが,火曜1限には「英語科教育法」という必ず出席しないといけない講義が入っていたので,早朝発生した地震の後,ひっくり返った皿やら壊れた家具を片付けながら、「今日の1限どうしよう」とか考えていたことを思い出します。
また,当時は15日が成人の日で祝日,日曜日と重なったため16日の月曜日も休日でしたが,その週末は一睡もできていませんでした。
別に連休で遊び倒していたわけではありません。
あの時はどうしても寝つけなかったのです。
確かにlionusは夜更かしですが,まる二晩眠れないということはまずもってありません。夜眠れなくとも昼には睡魔に屈します。
あの時もベッドの中で「ああもう6時前だ。今日1限あるのにどうしよう。寝ないとさすがに今日はきついぞ。」など暗闇の中でぼんやり考えていたら,全身が突然大きく揺さぶられだしました。
「あ,地震だ」
布団の中にもぐりこみ,頭を抱えました。その点関東に住んでいたことがあるので,地震には純関西人よりも慣れていたのかもしれません。
ところが揺れはどんどん大きくなります。まるでジェットコースターのような揺れです。これまで経験したことのない揺れにぞっとするような恐怖を感じました。
なす術もなく布団の中で固まっているうち,揺れは次第におさまってきました。
揺れが止まった後,静かな暗闇の中しばらくじっとしていましたが,体の上に山積みになった本やら何やらをかき分けて立ち上がり,棚から懐中電灯を手探りで取り出して部屋の中を照らしてみました。
うんざりしました。
部屋の中のほとんど全てのものが無残に床の上に散乱・・・いや堆積していたのです。
「おいおい,やめてくれよ〜」って感じでした。
とりあえず電話機を掘り出して,実家に電話をかけました。
広島の方でも震度3程度に揺れたようで,朝6時過ぎでしたが,家族は起きていました。こちらは震度7ですから,「すごい揺れだったけど私は大丈夫だから!」と必死の報告なのですが,向こうは「はぁ,それならいいけどね〜(ああ眠い)」と何とも間の抜けた返事で,朝からそんなに騒がなくてもいいじゃないという風でした。
しかし,いずれにしてもすぐに電話をかけたことは正しい判断ではありました。少し後には,電話が通じなくなってしまったのですから。まだ携帯は持っていなかったし,メールもありませんでしたから,もしすぐに電話をかけていなかったら,と思うとちょっとぞっとします。
その日は今振り返ると,長い一日だったような気がします。
幸い自分自身は「ひどい目」には遭いませんでしたが,ひどいものは家の外で色々と見ました。
部屋に戻った後はきっとまたTVで地震報道を見ていたのでしょうが,何を見て何を思っていたのか,これも覚えていません。その晩はつけっぱなしのTVの横,妙に安心しながら眠りました。
そして翌日,羽田経由で飛行機を乗り継ぎ,実家に逃げ帰ったわけですが,それから後も晩はなかなか寝付けなくて困りました。
もとから寝付きは悪かったのですが,ベッドに入ってしばらく寝付けないと,震災発生前の二晩眠れなかった(眠くならなかった)ことを思い出し,寝付けない=また地震が来るのではないかという不安がひたひたと胸いっぱいに広がり,ますます眠れなくなるのです。ベッドの中で入眠困難をじっと堪えているのはとても辛いので,ラジオのNHK第1をつけて気を紛らわすようになりました。その当時は震災関連情報が終夜放送されていたので,別に聴いて楽しいものではなかったのですが,流していると自分的に納得できたのです。昼間は家でずっとTVの震災報道を見て,夜間はラジオの終夜放送・・・ちょっと強迫的だったかもしれません。
以後,夜は枕元でラジオのNHK第1を流しっぱなしという変な習慣がついてしまい,そのまま「ラジオ深夜便」の愛聴者になってしまいました。