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呪術と占星の戦国史(戦国時代はネタの宝庫)

呪術と占星の戦国史 (新潮選書)

呪術と占星の戦国史 (新潮選書)

武田氏の史料である『甲陽軍鑑』の品第四に見られる,「弓矢はみなまほうにて候」という言葉に接したときである。要するに,「合戦は魔法である」という意味で,戦国史にこの概念をとりこんでみると,いろいろと辻褄が合ってくるような気がしたのである。

戦国史研究の第一人者が,呪術や占いといった視点から改めて戦国史を語っている面白い本です。以前にも,同じ著者の類書を読みましたが,こちらの方がさらに戦国時代のエピソード集として読みやすくなっています。
へぇ〜と思う内容ばかりでしたが,特におおっと思ったのは明智光秀が本能寺攻め前に催した連歌会についてです。

当時,「合戦前に連歌会を開き,その連歌を神前に奉納して出陣すれば,戦いに勝つ」という一種の信仰があった。

愛宕百韻」は,天正十年五月二十八日,愛宕大権現五坊の一つである西之坊威徳院において催された戦勝祈念の連歌を指す。(中略)
ただ実際は,毛利征伐祈願というのはあくまでも表向きのことで,光秀の本当の狙いは,主君織田信長打倒のための戦勝祈願だったことはいうまでもない。(中略)
これはでは,発句の「ときは今天が下しる五月哉」だけが取り上げられ,「時」を「土岐」にかけ,「美濃源氏土岐氏の一族である自分が天下を治めるべき季節の五月となった」の意に取り,本能寺の変を前にした光秀の決意を詠みこんだものと理解し,それ以下の句にはほとんど注意が払われてこなかった。
ところが最近,津田勇氏が(中略)光秀の発句以外にも,光秀の句はもちろん,他の連衆の句の中に光秀の決意を示す部分のあることを指摘し,注目されている。(中略)
要するに,「愛宕百韻」には,源氏である明智光秀が,平氏である織田信長を倒すという,源氏と平氏の対抗関係がベースとなっていたわけで,連歌全体が,打倒信長を意識したものとなっていたことが確実である。

子どもの頃読んでいた,織田信長のまんが歴史伝記本に,上記の連歌会のシーンが出てくるのですが,そこでは光秀が「ときは今天が下しる五月哉」と詠んだところ,連歌会の参加者が「光秀殿は謀反をするおつもりだ」と,皆ハッとして非常な緊張感が漂うという描写がされていました。
しかし,連歌全体が打倒信長で一貫していたならば,連歌会の参加者は最初から光秀の「共犯者」じゃないか!と思いました。当時の光秀はそれなりの勝算(味方の存在)があったのだということか,と改めて思いました。

いかにも部下との関係に悩むビジネスヲヤジが読みそうな本ですが(笑
戦国武将を中心に,様々な人物をとりあげて「人望」とは何か,について論じています。
特に歯ごたえがあったり,「へぇ〜」と感心するほどのことはありませんでしたが,気楽に読めて面白かったです。