lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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森林はモリやハヤシではない―私の森林論(糺の森を見に行ってみたくなった。)

森林はモリやハヤシではない―私の森林論

森林はモリやハヤシではない―私の森林論

森林生態学の大家が雑誌などに書いた文章を集めたものだそうです。したがって,素人でも読みやすい内容でした。ちなみに,最近時々聞く「里山」なる言葉は,この先生が使い始めたのが広まるきっかけだったそうです。
タイトルのフレーズの意です:

中国語では「森」は「深」と同じ意味のシン(深い)という形容詞だった。(p.55)
要するに,「森林」はモリやハヤシではなく,「深い林」である。(p.57)
森はある種の山なのである。すなわち,森は山の名だ。山頂が岩山の山を岳(タケ)と呼ぶように,山頂がびっしり樹木で覆われた山を「森」と呼ぶ。(p.19)

砂漠緑化運動をバッサリ斬る:

砂漠は砂が溜まっているから砂漠なのではない。降水量が少ないから砂漠になったのだ。(p.37)
砂漠は砂が溜まった所だとしか考えない人たちの中には,海岸の砂丘と砂漠を同一視する人がいる。(p.38)
このような人たちの典型的発想はこうだ。「砂漠の造林や緑化をやる手始めに,海岸の砂丘で何か工夫をして,造林をしてみる。そしてその造林に成功すると,そっくりのそのままの方法を砂漠へ持っていけば,砂漠に造林ができる」。このように思い込んでいる人たちがたくさんいるのだ。そのための研究費の交付やODAなどもあるご時勢である。(p.38)
砂漠は降水がきわめて少ないが,日本の海岸には降水が充分ある。海岸が乾いて見えるのは,降水が砂の下部まで浸透してしまって,使いにくいだけだ。(p.39)
真に水の不足した地帯に木を植えることは,さらに水を不足させる愚かな行為に過ぎない。(中略)したがって,真の砂漠に植林はありえない。砂漠緑化を声高に主張する人々の,真の目的は何かといつも疑問に思う。似非科学者の愚かな着想に影響を受け,水不足地帯に一生懸命に木を植える人々の姿を見ると本当に情けない。(p.39-40)

動物と人の関係について:

昔といってもそう古いことではないが,近代の機械や科学の文明にならない時代には,農作業を妨害する各種の動物を殺してしまおうという考え方というか,思想というか,そういうものを日本の人はほとんど持っていなかった。(中略)虫おくりとか鳥追いは自分の住む集落の外れまで追っていって,ここから中へ入らぬよう虫や鳥にお願いをしたのだろう。(p.113)

大学出について:*1

私の率直な見解を記すと,大学出は技術的実務(中略)になると,全般的には専門学校出にかなわない。彼らは学校で実務教育を充分に受けている点では大学出よりすぐれている。(中略)しからば大学出にどんな特徴があるかと言えば,科学知識が非常に広いこと,広範囲の科学知識,基礎的な科学知識を充分に持っていることで,今まで一度も実際に経験したことのない技術でも,やれと言われば,やれる能力が高いということではなかろうか。(p.229)

最近の「大学出」については,上記太字部分は大変怪しい限りではありますが。
ところで,なぜこんな本を読んでみたかというと,8月に探偵ナイトスクープを見ていたら,この四手井先生がひょんなことで出演されたことがきっかけです。番組の中で部屋にあったこの本のタイトルがちらっと話題になり,「モリやハヤシではないなら,一体何よ?」と気になったのです。
この時の出演のことは,Wikipediaにもちょっと載っているし(笑),検索したらブログで書いておられる方を発見しました。

*1:この文章で述べられている「大学」と「専門学校」は戦前の教育制度のもとのものであることに留意。