lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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神話で読みとく古代日本─古事記・日本書紀・風土記

最近、ご近所にあるいくつかの神社を訪れてみるのがちょっとしたマイブームになっているのですが、ネットで検索すると、『延喜式』の「式内社」に定められた・・・などの記述が出てくるし、また祀られている神様もいろいろなので、神様ネットワークってどうなっているの?と気になっていたところ、新着図書で見かけたので読んでしまいました。
「神様ネットワーク」を説く本ではなく、古事記日本書紀風土記というのはどのような意図で書かれたのか、について論ぜられており、ミステリー小説を読むような感覚でした。
この辺の教養がないので、どう評価していいのか分からないのですけれど、なかなか面白かったです。
要するに、大和王権があちこちの”国”を征服して統合していく過程において、それぞれの地方で信仰されていた”神様”も、ワタシたちの神様とお仲間なんだよ〜*1、だからアナタたちもワタシたちも仲良し〜というノリで巻き込んでいっちゃおうとするために、それぞれの地方の”神様”の話も織り込みつつそれぞれ編まれたのかな〜と思いました。

p.276
古事記には、数知れないモノどもをカミとして祭り、この列島を国家イデオロギーで覆ってしまう大和王権(天皇)の事績が記されていた。その大和王権によって創作されたのが古事記日本書紀の〈神話〉に他ならない。古事記日本書紀の〈神話〉は、その構成自体モノをカミとして祭る国家イデオロギーを反映しているものと思われる。

p.278
古事記には三百を超えるカミが登場する。その中で、天皇家の系譜に連なるカミはごく一部である。具体的な活動の跡を残しているカミも限られており、多くは神名が記されるのみである。まさに八百万神の登場する〈体系神話〉なのである。こうした多くのカミの存在〈古事記神話〉の主題、つまり大和王権国家の由来を説く文脈上で理解することは難しい。

p.278
これら多くのカミは、〈建国神話〉の文脈上ではなく、〈建国神話〉を神話たらしめる上で必要だったのではないだろうか。それらのカミを信仰し、その神話を伝承して生きていた人々にとって、それらが古事記に登場するか否かは、〈古事記神話〉に対する信用度に関わる重大事であったに違いない。

p.279
古事記にカミとして名が載ることは、大和王権によってカミとして公認されたことを意味し、全国の神社が官社(出雲国風土記の「神祇官社」や『延喜式』の定めた「式内社」など)として定められていった歴史と同じ意味を持っている。大和王権による公認とは、実のところ、列島の上に存在した多くのカミ(大和王権にとってはモノ)が本来の神格を換骨奪胎されて、大和王権の価値観で再創造されたということである。

p.279
こうして、硬軟織り交ぜたやり方で、列島各地の様々な信仰が国家イデオロギーで統一されていったのである。古事記日本書紀の〈神話〉は、まさしくモノを祭る王によって作られた〈神話〉なのである。

*1:お仲間、というよりは手下扱いなのかもしれないですが。