lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究―

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

『銀行収益革命』の中で引用(日本的組織の特徴を指摘する内容として)されていて,書名はあちこちで聞いており,改めて興味を持ったので読んでみました。
米軍との比較で旧日本軍の”ダメなところ”をきちきちと詰めている内容で,これは確かに定番になりうる本だわと思いました。
しかもそれだけでなく最終章の締めで,こんなことが書かれているのです。

pp.282-283
そして,高度情報化や業種破壊,さらに,先進地域を含めた海外での生産・販売拠点の本格的展開など,われわれの得意とする体験的学習だけからでは予測のつかない環境の構造的変化が起こりつつある今日,これまでの成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められているのである。とくに,異質性や異端の排除とむすびついた発想や行動の均質性という日本企業の持つ特質が,逆機能可する可能性すらある。
さらにいえば,戦後の企業経営で革新的であった人々も,ほぼ四〇年を経た今日,年老いたのである。戦前の日本軍同様,長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。米国のトップ・マネジメントに比較すれば,日本のトップ・マネジメントの年齢は異常に高い。日本軍同様,過去の成功体験が上部構造に固定化し,学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。
日本的企業組織も,新たな環境変化に対応するために,自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである。

これ,今ならそうだーそーだその通りだー,となるでしょうが,
本書の初版は,1984年ですよ!
80年代といったら,日本的経営がもてはやされてイケイケドンドンだった頃ではなかったでしょうか?(当時大人でなかったので伝聞的印象ですが)
その頃にこういった危惧がちゃんと書けているのはすごいと思いました。
その他,日本軍の組織論なのですが,現在の日本の大学の状況にも通じるような記述が・・・

p.272
日本軍はある意味において,たえず自己超越を強いた組織であった。それは,主体的というよりは,そうせざるをえないように追い込まれた結果であることが多かった。往々にして,その自己超越は,合理性を超えた精神主義に求められた。そのような精神主義的極限追求は,そもそも初めからできないことがわかっていたものであって,創造的破壊につながるようなものではなかったのである。
日本軍はまた,余裕のない組織であった。走り続けて,大東亜戦争に入ってからは客観的にじっくり自己を見つめる余裕がなかったのかもしれない。物的資源と人的資源,すべてに余裕がなかった。たとえば,日本海軍の航空機の搭乗員は一直制であとがなく,たえず一本勝負の短期戦を強いられてきた。米海軍は,第一グループが艦上勤務,第二グループは基地で訓練,第三グループは休暇という三直制を採用できた。加えて,自動車免許が常識の国だから,アマチュアパイロットやエンジン整備の知識を有する潜在的予備軍も多かったのである。ガダルカナル戦では,海兵隊員が戦争のあい間にテニスをするのを見て辻政信は驚いたといわれている。彼らの戦い方には,なにか余裕があった。
これに対して,日本軍には,悲壮感が強く余裕や遊びの精神がなかった。これらの余裕のなさが重大な局面で,積極的行動を妨げたのかもしれない。

海兵隊員が戦争のあい間にテニス」で思い出したのは,広島の放射線影響研究所(旧ABCC:原爆傷害調査委員会)を見学したとき,敷地内にテニスコートが広がっていたことです。(航空写真中青シートがかけられている箇所がテニスコートのはずです)

今の日本でも,国の研究所の中に,このようなテニスコート(などのレクレーション施設)を作るでしょうか?
何かにつけて日本は貧乏くさいんだな〜と思いました。
まあその貧乏くささ(≒質素,素朴,倹約)がいい面もあると思うんですけれど。