lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

「良心」から企業統治を考える

「良心」から企業統治を考える

「良心」から企業統治を考える

「良心」という側面から企業の自己規律を生むメカニズムについて考察している本です。
「良心」というふわっとしたものを扱うせいか,論としての切れ味は鈍いかな〜と思いましたが*1,一般的(グローバル・スタンダード的)なコーポレート・ガバナンスの考え方に異議を唱えているという点では独特な立ち位置で面白いと思いました。
本筋からは少々それるのですが,「責任感」についての考え方は参考になりました。

p.119
そもそも組織には必ず何かの目的がある。その目的を実現するために人々は組織に参加する。人が企業で働くのも単に給料をもらうためだけではない。目的である成果―それが顧客満足であれ,利益であれ,自社の存続であれ―を挙げるために,そこで共に働いている。そのためにおのおのが責任を分担し,共有している。そのように責任を共有する関係においては,参加者が利己的ではなく責任的(responsible)であることが不可欠といえる。ある意味では,私欲の追求を我慢することが求められるのである。そうでなければ協調は成り立たなくなるからである。

pp.119-120
逆にいえば,それ(責任→lionus追記)を分担・共有していないステイクホルダーにとっては,経営者がいくら損得勘定で仕事をしていても一向に気にならない。それで良い業績をあげてくれさえするなら,むしろ私欲に基づいて仕事をしてもらうのは大いに歓迎すべきことになる。
一般に,株主はこうしたステイクホルダーの典型といえるかもしれない。株主には出資金に対する有限責任はあっても,経営者と共に働いて何らかの目的を達成する責任はない。自分たちに満足できるだけの利益をもたらしてくれるなら,たとえ経営者自身が「自分が儲かりたい」という一念だけで経営したとしても,問題はない。従来のコーポレート・ガバナンス論では,このような存在としての株主の利益を守るという視点から理論が作り上げられてきた。それゆえ誰よりも強い責任を担った経営者にさえ,(他の組織成員と同様に)自利心一辺倒でなすべきことをさせようとするものであったのも当然といえる。

会社は誰のものか,とか,いい会社ってどんな会社?ということを折々に思うことがあるのですが,会社は株主のもの,と言い切ってしまうことにはもやっとしたものを感じてしまう背景にはこういうこともあるのかなと思いました。

*1:とりあえずこの本は”縦書き”の本だしね〜