lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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原発報道とメディア

原発報道とメディア (講談社現代新書)

原発報道とメディア (講談社現代新書)

3・11後の原発報道について論ずることを通じて、ジャーナリズム(ジャーナリストかくあるべし)論を展開されています。
自分には結構難しかったな〜
でもツイッターとかグーグルについて書かれているところはあちこち鋭くて、そうそうそうなんだよねと参考になりました。
例えば:

p.122 ツイッターはフォロー数を増やせばそれこそ世界中の声を自分のタイムラインに表示させることができる。自分のフォロワーが増えてゆけば,マスに向けての発信も可能だ。しかし実際には,フォローするアカウントは興味の範囲に留まりがちだし,フォロワーも相互フォローで増えていくことが多い。結果的にタイムラインは,あらかじめ関心の方向を同じくする意見で埋められがちだ。そして,そんなタイムラインを眺めて,自分の関心は独りよがりではなかったのだと承認の感覚を持つ。

pp.122-123 こうした性格を思うと,ツイッターソーシャルメディアと呼ばれるが,そのソーシャルの意味は「公的な社会」というよりも,声への共感を基礎に形成される「社交」関係に近いのではないか。ツイッターは自分の求める声を聞き,それを復唱し,リツイートしてゆく場なのだ。つまり,相互承認を重ね,更にそれを求めてゆく場ではあるが,社会的承認を求めて,公共性,公益性の観点から評価にさらされる場ではない。

p.123 ネット上のコミュニティは現実のコミュニティと同じく,価値観を同じくする集団なので,同じ声の共振共鳴がありえる。そうしたツイッターの特徴を思えば,それをジャーナリズム・メディアとして安易に期待するのは危険だろう。

FBなんかもそうなんだろうけれど、「価値観を同じくする集団」が「同じ声」で「共振共鳴」する自閉的な島宇宙がぽこぽこと出来上がっていて、たまにSNSでムーブメントが起こって「革命」らしきものが起こったとしても、それはある特定の島宇宙が膨張しているだけなんじゃないかな〜(たまたま参加人数瞬間最大風速的に多くなった結果、インパクトがすごく見えたんじゃないかな〜)と思うことがある。