lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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名もない顔もない司法―日本の裁判は変わるのか(いずれにしても専門家内での評価が大事。)

名もない顔もない司法―日本の裁判は変わるのか (NTT出版ライブラリーレゾナント)

名もない顔もない司法―日本の裁判は変わるのか (NTT出版ライブラリーレゾナント)

裁判員制度が始まるにあたり、日本の裁判(官)について合衆国との比較も交えながら書かれた本です。
書名の「名もない顔もない司法」というのは、

p.155
一般市民から比較的隔絶された裁判官と、どの裁判官が裁いても変わらない―手続的にも同じ処理がなされ、判決も同じになる―という二つの面

のことを意味しているようですが、「名もない顔もない」(のっぺらぼう?)ことは必ずしも否定的には書いていないように私は受け取りました。
要するに「標準化」しているってことなのでしょうが、その「標準化」の功罪をともに考えることが必要だな〜と一読して感じました。
法律素人にとっても非常に読みやすい本でしたが、裁判官のキャリアシステムを切り口に書かれた「第3章 キャリアシステムと裁判官の独立」はおもしろかったです。

p.139
司法の独立を裁判所の政治的権力からの独立の問題として捉えるならば、ラムザイヤーらの解釈とヘイリーの解釈の違いは、決定的に重要である。しかし、司法の独立を、個々の裁判官が独立して判断を下しているか否かという観点から捉えるなら、二つの解釈に違いはないに等しい。いずれの見方も、下級審裁判所の裁判官は、自分の判断が将来の昇進にどう響くか意識し、判断にあたって束縛を感じているとしている。

p.143 刑事事件において昇進につまづいたのは、無罪判決を下した裁判官でもなく、事実認定の誤りによって覆された裁判官でもなかった。むしろ、法律問題の誤りで覆された裁判官だったのである。それも裁判官が「制定法の解釈を誤っており、裁判官としての能力に疑義を生じさせかねない」ものだった。全体としてみると、ラムザイヤーとラスムーセンによる調査結果は要するに、彼らがいうように、「日本の裁判所は……法的に正確な判決を評価する」ということになる。制定法解釈を誤り裁判官としての資質を疑われるような裁判官と、判例を逸脱し上訴審で覆される裁判官は、不利益を受けるのである。

前者p.139のように”上”ばかり見ている(ヒラメ裁判官?)としても、専門家の中での”評判”を悪くしたくないというダイナミズムが一定程度うまく機能しているのではないだろうかとも思いました*1

*1:出世に響くというあくまでも保身というか実利的な面だけでなく、あいつ間違ってやんの、バ〜カバ〜カとか言われたくない、という職業人としてのプライドにかかわる動機も働いているのかな〜と。