lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

新しい社会と新しい経営(初めて読んだドラッカー。)

新しい社会と新しい経営 (1957年)

新しい社会と新しい経営 (1957年)

原本は1950年、訳本は1957年に出たもので、「新しい」とタイトルにありながらも「古い」本になっていますが、今読んでもlionusにとっては目からウロコぼろぼろで、十分に新しかったです。
自分が現在取り組んでいる仕事に関しては、

p.178
しかしながら、企業は社会に従属していると同時にまた、社会の中で優位に立っているものである。企業は、現代社会を代表し、それを決定づけているのである。しかし、それでも現代社会の中の一制度体である。このことは、社会の信条、価値観、誓約が企業を拘束していることを意味する。と同時に他方、企業が社会の代表的な制度体であるがゆえに、社会の信条、価値観、誓約などがどの程度企業によって守り続けられるか否かによって現代社会の成否は決定されることを意味する。

こういう記述があることが参考になりました。
他にも、

p.74
企業体は、社会の常に有限な生産資源の管理者である。これらの資源の中には有形のもの(機械類、設備)、無形のもの(技倆、経験、「知識」)がある。あるものは人的なもの(労働)であり、あるものは物的なもの(資本)である。人間、原材料、機械を生産単位にまで組織化したものそれ自体が大きな資源である。企業体が社会に対して負う最小限の責任は、これらの資源が企業体に託されたときと同じ生産力状態に、これらの資源を保存することである。これに失敗すれば、国民的世襲財産の一部は浪費され、社会全体は貧しくされる。それゆえ、赤字経営は、企業体の第一の社会に対する責任の怠慢となる。

まあつまり、企業の赤字経営は、社会の財産を浪費し危うくすることにつながるという指摘は消費者視点からの素朴直感をへし折るもので新鮮でした。
また、経営者vs労働者の賃金闘争の本質について指摘しているところも、そういわれればそうだわと新し切り口を知ることができました。
その新しい切り口とは、「今日の要求と明日の要求」です。

p.114
産業経済における経済闘争は、主として今日の要求と明日の要求との相剋なのであって、賃金闘争における争点は、企業体の今日の要求と労働者の明日の要求との間に起り、生産性への抵抗と利潤の否認における争点は、労働者の今日の要求と企業体および経済の明日の要求との間に起る。

上記の賃金闘争における「企業体の今日の要求」とは当期費用として労働者に支払う賃金、すなわち、まあ少ない方がいいよね、というもの。「労働者の明日の要求」とは、生活費や子どもの教育費などの未来費用に充てるための賃金で、よって多ければ多いほど嬉しいもの。
生産性への抵抗と利潤の否認における「労働者の今日の要求」は今もらえる賃金。一方「企業体および経済の明日の要求」とは設備投資とか今後も企業が存続するための未来費用。
だからなかなか交渉の落としどころが合わないのか〜と納得しました。