タモリ論(1/3はタイトルとは別の人の話。)
- 作者: 樋口毅宏
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/07/13
- メディア: 新書
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タモリ論という本筋には関係ないのですが,ビートたけしが「パクリ」の名人であることを述べている中で,著者が「パクリの条件」についてふれているところがあります。自分用メモとして以下引用しておきます。
p.107
- カミングアウト(奥付表記は絶対。ダマでやっちゃダメ)
- 愛と感謝があること
- センスがあること
- 元ネタを超えていること(またはその意志)
- 新しい解釈を与えていること
- 元ネタを再評価させたいという気持ち
これが「パクっていい」条件です。右から左に移すのはダメ。
北野武は1をやっていませんが,確実に3と4があります。2と6も,パクられた側は感じたでしょう。
さらにこうも書いています。
p.116-117
先述したように,元ネタへの愛とリスペクトがあれば,そして換骨奪胎ができていれば,パクリは悪ではありません。ましてや映画は過去の作品へのオマージュの集積です。過去の作品の影響が見受けられない作品など,ろくなものではありません。
ある人がスタイルを選ぶ。そしてそのスタイルがその人を形成します。ヤクザ映画を観た人が劇場から肩をいからせて出てきます。気分はすっかりヤクザ気取り。しかしそれもせいぜい小一時間かぎり。街でホンモノのヤクザを見かけたら,あるいは一日寝て覚めたら,いつものちっぽけな自分に戻ります。
しかしヤクザ映画を観終わった後の気分が一生続けば,その人は映画に出てくる任侠そのものの人になれます。
やっぱり作家さんだなあ。