lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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タモリ論(1/3はタイトルとは別の人の話。)

タモリ論 (新潮新書)

タモリ論 (新潮新書)

タモリ論と題していますが,だいたい3分の1はタモリと並んでお笑いBIG3と称されるビートたけしとさんまについて費やされています。
タモリ論という本筋には関係ないのですが,ビートたけしが「パクリ」の名人であることを述べている中で,著者が「パクリの条件」についてふれているところがあります。自分用メモとして以下引用しておきます。

p.107

  1. カミングアウト(奥付表記は絶対。ダマでやっちゃダメ)
  2. 愛と感謝があること
  3. センスがあること
  4. 元ネタを超えていること(またはその意志)
  5. 新しい解釈を与えていること
  6. 元ネタを再評価させたいという気持ち

これが「パクっていい」条件です。右から左に移すのはダメ。
北野武は1をやっていませんが,確実に3と4があります。2と6も,パクられた側は感じたでしょう。

さらにこうも書いています。

p.116-117
先述したように,元ネタへの愛とリスペクトがあれば,そして換骨奪胎ができていれば,パクリは悪ではありません。ましてや映画は過去の作品へのオマージュの集積です。過去の作品の影響が見受けられない作品など,ろくなものではありません。
ある人がスタイルを選ぶ。そしてそのスタイルがその人を形成します。ヤクザ映画を観た人が劇場から肩をいからせて出てきます。気分はすっかりヤクザ気取り。しかしそれもせいぜい小一時間かぎり。街でホンモノのヤクザを見かけたら,あるいは一日寝て覚めたら,いつものちっぽけな自分に戻ります。
しかしヤクザ映画を観終わった後の気分が一生続けば,その人は映画に出てくる任侠そのものの人になれます。

やっぱり作家さんだなあ。