ある社会学者の自己形成―幾たびか嵐を越えて
ある社会学者の自己形成―幾たびか嵐を越えて (シリーズ「自伝」my life my world)
- 作者: 森岡清美
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2012/01/01
- メディア: 単行本
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副題の「幾たびか嵐を越えて」とは
高等小学校卒業まで15年間の局地的世界では、家庭に嵐が吹き荒れた。生徒・学生時代がおおう12年間の地域的世界と全国的世界の入り口では、アジア・太平洋戦争と戦後改革の嵐が吹いた。そして、教員になってからの28年にわたる全国的世界では、その後半で筑波紛争の逆風が吹き、とくに最後の10年間、大学の命運にかかわる職務に深くはまりこんでいったため、勢い募る嵐にまともに曝された。
筑波紛争とは、東京教育大学(旧東京高等師範学校)の廃学と、その後継(?)である筑波大学開学への経緯のことです。
最初の「家庭に嵐」については、短いながら「序章」でショッキングな記述がなされています。
実母の早すぎる死とその妹が後妻=継母として家に入ってきたことに起因する「不運な歳月」について、
母死亡後の一連の出来事のなかで、私は家の後継者の立場を脱することができ、自由な身になって羽ばたくことができたからである。
母は早世することによって、私を東京に送り出したと言えなくもない。
と、幼い自分にとって「母の死は決定的な決定的な不幸」であるものの、
人間万事塞翁が馬、という側面もあり、見方によっては私の生涯もこの古諺で総括されるかもしれない。
とも書かれていて、お母様についての思いは一定程度昇華されたといえるのかとも思えるのですが、その続きに、
しかしそれには、老いた祖母が不仲の継母のいじめにさいなまれ、継母につく父に絶望して自死を遂げるという、悲しい犠牲の物語が裏打ちされているのである。
と、簡潔ながら限りなく重い記述がなされています。
巻末の年表によればこの「自死」はご本人が東京で就職してからの出来事であると読めますが、その他経緯等についての記述は、本文中にはこれ以外ありません。
上京して自分が身を立てるのに奮闘している間に、継母からの攻撃をかばい実母にかわり愛しんで育ててくれた祖母を田舎に残し結果として家庭内で「独り」にしてしまったことへの後悔の深さがかえって窺われるような気がします。