lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

レポートをコピペの集まりで作ることの無意味さ。

Google Glassがつくるカンニング社会とその先

情報社会では、デバイスと通信環境さえ手に入れば、他人の知識は自分のものになる。
でも、もしも人々がここにとどまるのであれば、情報と知識のフリーライダー、つまり「タダ乗り」で終わってしまう。

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20120612/1052242/?P=2&set=mlz_a

知識は、原因と結果で構成される。「あーすれば、こーなる」と、原因と結果、入力と出力で説明すれば、人間は理解できた気分になる。これは人間の脳の仕組みが、入力と出力で構成されていることと密接に関係する。知識を易しく伝えたければ、入力と出力を単純化すればよいし、多くの人々に、へえ、なるほど、あるある的な感動を与えたければ、人々がすごく喜ぶ、すごく驚く、すごく怖がるような刺激的な出力のある知識を選んで、それを話題にすればよい。

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20120612/1052242/?P=2&set=mlz_a

入力(刺激)=試験問題に正しい出力(反応)=正答で応えるように”訓練”されていれば、”理解”できているとみなすのが現在の一般的状況です。
実際筆者は次のページでこう書いています。

これまでの教育は、再現能力ばかりを重視してきた。その理由は、知識をたくさん身に付けるならば不確実性を低減でき、うまく生きて行けると考えたからだろう。それゆえに、因果を記憶して、入力側の変数を少々変えて、暗記した定理に基づき出力を導き出すという、答えのある問題に答えを出すというスタイルの教育方法が長期にわたって採用されてきた。

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20120612/1052242/?P=3&set=mlz_a

けれども、その知識の真の姿は、単純な原因と結果にはない。原因と結果の間には、真実だけが持つ、それは美しく構成された因果でつながる体系が存在している。その因果の体系の美しさは、自然や音楽が奏でる調和の美しさに似ている。知識の創造に取り組む人々が、寝食を忘れて没頭するのは、その美しさがあるがゆえである。

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20120612/1052242/?P=2&set=mlz_a

1人の人間が解き明かすことのできる知識はほんのわずかなものである。我々は過去の人々が積み重ねた知識の上に、新しい小さな知識を積み重ねることで現在の社会を築いてきた。そして、それらの知識を人々が応用し、新たな知識の創造のために使えるように公開することで貢献してきた。他人の知識を使うことは、新しい未来を創るために必要不可欠である。

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20120612/1052242/?P=2&set=mlz_a

「美しく構成された因果でつながる体系」を紐解く方法と、「我々は過去の人々が積み重ねた知識の上に、新しい小さな知識を積み重ねる」方法を身につけるのが本来大学ですべきことだと思いました。
ネットで検索したそれらしい文字列をぺたぺたと貼り付けただけのレポートは、教員にそれと気がつかれなければ単位はもらえるかもしれない。
しかし、それは「タダ乗り」の単なる「カンニング」であって、(社会の、そしてあなたの)新しい未来を創るための力にはつながりはしない。