lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

人体 失敗の進化史(ストックとしての研究者。)

人体 失敗の進化史 (光文社新書)

人体 失敗の進化史 (光文社新書)

「私たちヒトとは、地球の生き物として、一体何をしでかした存在なのか」二足歩行という、ある意味とんでもない移動様式を生み出した私たちヒトは、そのために身体全体にわたって、「設計図」をたくさん描き換えなくてはならなかった。そうして得た最大の“目玉”は、巨大で飛び切り優秀な脳だったといえるだろう。
ホモ・サピエンスの短い歴史に残されたのは、何度も消しゴムと修正液で描き換えられた、ぼろぼろになった設計図の山だ。その描き換えられた設計図の未来にはどういう運命が待っているのだろうか。

(以上,amazonに掲載の「出版社/著者からの内容紹介」より)
ともかく生き残りのために行き当たりばったりで身体各部のあれこれを作りかえてきた結果が今の私たちというのが興味深く読めました。
「文学的」な言い回しの印象は,同じ著者による『パンダの死体はよみがえる』のときと同様でした。
ところが,上記のメインテーマからは一転,「終章 知の宝庫」では今日の大学や研究機関の現状に対する危機感が炸裂します。

簡単にいえば,学界全体がお金を動かす雑務に翻弄され,アリクイの唾液腺などという,不要不急とされる仕事に打ち込む余裕を失っているのである。

こんな疑問*1に真顔で取り組む大学の学者は,数えるほどもいなくなってしまったのではないだろうか。私を名指ししながら頼ってくるこうした好奇心に,全力を挙げて応えてあげたいと思う。そのために,普段から自問し続ける。
「遺体を前にした自分を普段から追い詰めておく」
それが,動物園ともに遺体の研究に携わる者の修行であり,義務であり,生き方なのだ。

研究者(学者)とは,専門家とは,いつ誰が必要とするのか分からないこと*2でも求められればスッと懐から手がかりを差しのべられるような潤沢な「ストック」である,と読みました。
そのような潤沢な「ストック」が,近年複数のノーベル賞受賞者が日本から出ている背景であったと思うのですが。
ここで先日読んだブログ記事を連想しました。

・職場で某有名大学の学生達に講義めいたことをした。
・興味を持つだろうと思い資料も用意して臨んだがこれがまた無反応で悲しい。時間も1時間半で長いので仕方ないのかな。
(中略)
・質問なし、色々な事業と製品も紹介して何故そう設計されているのかも教えた。またも質問なし。
・これ深刻だと思う。教育機関に乗り込んで直談判したいくらい。僕は教師に向いてると思っていたんだが。ただ、最近の大学もおカネを取ってくるのに忙しくて教育どころではないのかも。独立行政法人になってしまったし。もう益川小林のような研究はできない状態だろう。

http://lucifer548.blog100.fc2.com/blog-entry-448.html

(太字はlionusによる)
「某有名大学」とはどこかは分かりませんが,「ストック」は残念ながら涸れはて底をつきつつあるのかもしれません。

*1:アリクイの唾液腺がなぜこんなに大きいのか?という疑問。

*2:「誰も必要としないこと」とは厳しく区別しなくてはならない。「いつ誰が必要とするのか分からないこと」と「単なる自己満≒自分以外の誰も必要としないこと」は別物である。