わたし、ガンです ある精神科医の耐病記(精一杯半身離しても自分の全身像は見えない。)
- 作者: 頼藤和寛
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2001/04/01
- メディア: 単行本
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著者は産経新聞の人生相談欄の回答者で知られている精神科医で大学の先生だそうです。
前半は専門外ながら医師としての視点から,淡々と大腸がんの発見と治療について述べられています。
ちょっと考えればわかることである。本屋の棚に「風邪は治る」とか「わたしは虫垂炎を克服した」とかのタイトルの書籍はない。なぜかというと当たり前だからである。また「アルツハイマーは治せる」とか「わたしは脳死にうち勝った」とかの本もない(仮にあってもトンデモ本である)。なぜかというと今のところ不可能だからである。
結果的に,手術時の所見と術後の経過からして完治は無理だった。わたしにはこうした災厄の予感がずいぶん前からあったようで,たとえば昭和61年に出した『自我の狂宴』のあとがきにも「今,この瞬間に私やあなたの身体のどこかに,ひょいと1個の癌細胞が発生していないという保証はありません」と書いている。なるほど年数を逆算するとその頃に発ガンしていた可能性もある。また発症前に出版された『精神科医とは何者であるか』のあとがきでも「あとどれだけ生きるかわからないが,持ち時間に限りのあることだけは確かである」と書いた。発症前から書き始めて,診断が確定される前にほぼ脱稿していた近著のタイトルは『人みな骨になるならば』である。この調子で先取りしていくと,さしずめわたしの死後に出る本の題名は『もう死にました』になるのかもしれない。
内容の深刻さにもかかわらず,ふと笑ってしまいました。
さすが人生相談の名回答者です。
しかし,最終章「寸詰まりの余生」は重いです。一気に置いてけぼりを食ったような気持ちになりました。
そして,本書の「あとがき」の最後では
ま,とにかく,53歳の誕生日も21世紀も迎えられたし,本書を仕上げることもできた。この調子でいけば銀婚式も済ませることができるだろう。健康だった頃には当たり前のように過ごしていた一日一日をありがたいものに感じる。
まるで”おまじない”のように書かれています。
一方で同じ「あとがき」に
今となっては,本書を退院後半年以内にせわしなく書き上げてしまってよかったと思っている。
この「あとがき」を書いている時点で,ようやく好機が失われつつあるのを感じる。最近になって,真剣にガンと向き合うのに飽いてきた。
とも書かれています。
本書の出版後,53歳で肺へ転移したがんのために亡くなられたそうです。