lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

コンピュータが仕事を奪う(もやもやもや。)

コンピュータが仕事を奪う

コンピュータが仕事を奪う

20世紀後半に起こった情報科学という技術革新は,知的労働を代替するタイプの技術革新です。その当然の結果として,情報科学の技術が,リアリティーを持って社会に押し寄せてくる21世紀において,その職を追われる可能性があるのは,コンピュータによって代替可能な職種についている人々,いわゆるホワイトカラーだということになります。

と「はじめに」述べ,”競争相手”であるコンピュータはどのような存在で,できること・得意なことと,そうでないことを検討し,最後に上記のような時代にも生きのびてゆけるような教育について論じられています。
数学やコンピュータについて,様々なトピックを高校生レベルでも分かるように平易に書かれています。
「数学というオープンソース」の節では,

数学者は,強大な権力と巨万の富をもたらすかもしれない未来予測の式すら,無償で論文として公開してしまいます。金融工学の金字塔のひとつであり,巨万の富を稼ぎ出したブラック・ショールズ方程式にしても,誰もが無償で利用でき,誰もがそれを改変することができるのですから!

書かれているのを見て,少し前に読んだ,数学的アルゴリズムを特許申請して大変な騒ぎになった,カーマーカーの事例を扱った

これを思い出してニヤリとしたり。
帰納で学ぶコンピュータ」の節では,

人間は単にパターンを暗記して解を選んでいるのではなく,たまたま知りえた一の経験の意味を理解し,まったく異なるシーンに適用することができるわけです。これはコンピュータでは実現が非常に難しいタイプの知性です。

今読んでいる

学習指導における聴視覚的方法〈上,下巻〉 (1950年)

学習指導における聴視覚的方法〈上,下巻〉 (1950年)

を想起しました。
実際的な経験を通して学ぶことの効果について説かれている非常に興味深い本で,特に「経験の三角錐」はあちこちで引用されているようです。
しかし,実際的な経験から抽象概念にまとめ上げられるのは,人間のこの性質ゆえだよな〜(コンピュータにはできない学習だよな〜)と思いながらまたニヤニヤしました。
このように,なかなか面白かったのですが,後半の「『言語としての数学』が身を助ける」の節で,

「コンピュータとバッティングするような職業領域しか選択肢がないようなタイプの人々が存在する」

と仮定し,(このような人々がコンピュータに仕事を奪われない)対策として

第二言語として数学が話せる能力」を獲得する

ことをすすめておられます。
これは本書の基本的な主張のようですが,すごくもやもやしました。
そのような,

  • 言葉としての数学はどのように成り立っているのか
  • 変化をとらえるために関数をどのように使えばよいのか
  • 不確実性を表現するために確率や統計をどのように使えばよいのか

→そうした基本の筋を理解すればよいのです

・・
・・・
分かるよ。すごく分かる。
でも,”算数・数学が苦手”と言いながらも,上のような「基本の筋」を理解できる層はやっぱり,それは全体から見ても結構”上”の層なんじゃないの?
ところが,そこに入らない”どこかから下”の層こそが,
「コンピュータとバッティングするような職業領域しか選択肢がないようなタイプの人々」
にばっちりかぶるのではないの?
と思いました。
本書は高校生とか学部生におすすめだとは思いましたが,「※ただし偏差値60オーバーに限る」などと付けたくなる気分でした。