lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

とりあえず東北関東大震災で今思う事。

先日3月11日発生の大地震のもたらした被害の全容は,地震発生からまる2日経過した時点でも明らかになっていないと思いますし,また,明らかになっていないということ自体が,今回の地震災害の規模の大きさを示すと,つくづく実感しています。
凡人のlionusは自分の経験した範囲からしか,物事の重大性を判断できないので,どうしても,自分がそのごく一端を経験した阪神淡路大震災と対比して今回の大震災を把握しようとしてしまいます。
そのわずかな経験から思うに,今回の大震災の特色として,コミュニティを根こそぎ破滅してしまったこと*1,そして各コミュニティがそれぞれ地域的に離散していることがあると思います。
離散している,というのは,平時では所謂リアス式海岸の地形で,山がちの沿岸部が,鉄道および道路つながっていたのが,津波で沿岸部が破滅的影響を受けたため,そのつながりがあちこちで寸断されているということです。
阪神淡路大震災の被災地,特に阪神地域は,今回の被災地に比べれば,一定の地域に人口が密集しており結果として甚大な人的被害を発生せしめたとはいえ,比較的狭い範囲に激甚な被害地域が限定されていました。
しかし,今回の震災は少なくとも関東から東北の広い範囲に激甚な被害地域が分布しているように今現在の報道からもうかがえます。
被害が酷いところほど情報が上がってきづらい,つまり被害の酷さとその現状が広く伝達されるまでの時間が比例するということを,阪神淡路大震災の時につくづく実感したのですが,そのことが今回の大震災でも言えるとすれば,今分かっている被害よりも,もっともっと激甚な被害がさらに認知されてくるのではないかと思います。
いくら何でも,1週間ほどすれば”被害の全容”なるものは把握できるとは感じるのですが,災害は,その全容を把握したところが本当の始まりで,終わりは・・・どうそれを定義するかによるのですが・・・心理屋の立場からるすると・・・ない・・・というのが,個人としての正直な感想です。
体験は・・・記憶は・・・その人が生きている限り無くすことはできません。
その記憶を,どう取り扱うか,どう納めるかの問題なのですが・・・その問題は・・・究極的には,その個人が生きている限り・・・死ぬまで納めきる,落ち着くべき終着点は・・・ないのです・・・
その個人が死ぬまで・・・生きものとしての終わりを遂げるまで・・・
少なくとも,未来ある子どもたちには,「あの時津波にのみ込まれて死んでればよかった」と思うことのないように,何か出来ることがないかなと,思う次第です。

*1:津波で一つの町がごっそり壊滅してしまったと報道されていることから推測しています。