lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

終わりの始まり。


月1の保健所仕事を今年度限り(この3月限り)で終わることにし,本日最後の仕事と後任者への引き継ぎをさせていただきました。
写真は,保健所の方々から最後にいただいた花束です。
全く予想していなかったことなので,大変驚きました。過分なプレゼントをいただき,恐縮しましたが,思わず目頭が熱くなってしまいました。
帰宅して湯船に浸かりながら思ったことは,自分はひょっとすると,人間としてえらく冷淡なのではないかということでした。
しかしながら,続いて,冷淡というよりは,自己評価が低いあまり,私に対する周囲の評価というものを,もしかしたら正当に認識してはいないのではないか,とも思いました。
今回,思わずにこのような美しい花束をいただいたことは,上記の二番目に思ったことの証左なのかもしれません。
もっと自分を大切にしないといけないのかなあと思いました。
よく,自分を大切にできない人は他人(重要な他者)を大切にすることはできない,と言われることがありますが,lionusは今までずっとその意味が理解できませんでした。
まだ今も理解できているかどうか自信はありませんが,その表現の雰囲気の一端に少し触れたような気がしています。
ところで,この保健所仕事は,なんちゃって臨床心理士lionusにとって唯一の臨床仕事でした。結構なトシなのですが,今まで”本格的”な心理臨床の仕事はついぞしないままで過ぎていたのですが,その理由として,元来自分は臨床志向でなかったことがあります*1
でも,臨床のゼミに居たので,自分は臨床をしないといけない*2と思って,指導教授に提供される機会(実習)には自分なりにチャレンジしたのですが,どうしても自分にはやり切れない・・・適性が足りないという感がずっとずっとしていました。
修士,博士課程と,ぐずぐずそのまま過ごしていきましたが,その中で徐々に認識してきたことがありました。
患者さん(クライエント)本人には大して好かれないが(逆に嫌われるわけでもない),その周囲の人(家族等)には大変好かれる,ということです。例えば,患者さんのごきょうだいと数年来断続的に患者さんご本人に関わる相談*3を(ボランティアで)受けたことがあります。
それはなぜなのか,自分では分かりかねるのですが,恐らく,lionusは臨床家よりも教育者あるいは評論家,解説者としての資質が随分と勝っているのではないかと感じています。
患者さんはいわば危機に瀕しているわけですから,心理臨床家をはじめとする周囲の人間について,自分を救って(助けて;理解して)くれるか否かということに非常に敏感に察知しているとlionusは考えます。言い換えれば,評論されても解説されても,当事者ご本人には何の役にも立たないということでもあります。
しかし,当事者の周囲の人間にとっては,当事者さんの言動の意味とか理由について,(真実か否かは別として)何らかの「解釈」や「物語」が必要とされる(何かないと耐えられない)ことは多々あると思います。
その文脈で考えると,さほど多い経験とはいえないながらも,その中で当事者ご本人に好かれる・頼りにされることがなかったlionusは「選ばれなかった」人間なのではないかという結論に至りました。
そんな単純なことを分かるのに,随分と時間はかかりましたが,やっとlionusは心理臨床の世界から足を洗う決心をつけました。
・・・とはいっても”臨床心理士”という肩書きの俗世間的価値は捨てがたい思いはありますので,資格そのものは出来るだけ維持の努力をするつもりですが,現役*4引退することにしました。

*1:大学入学時には,英語の教員志望で,でも,どうやって教えたら効果的かは英語学だけでなく人間の心理についても知らないといけないだろうと,「教育心理学」専攻に進んだはずなのです。

*2:臨床心理を専門とする限りは,臨床と研究を両立するべきである。

*3:本人の言動の意味や,どう接したらよいか,等々。

*4:というほど働いてないけど