墜落〈第1巻〉驚愕の真実/墜落〈第2巻〉新システムの悪夢(乗っていたら恐らく死んでいた(生まれていなかった)。)
amazonからいきなり,
Amazon.co.jpで、以前に「加藤 寛一郎の本」をチェックされた方に、このご案内をお送りしています。
とDMがきたので,「へ?誰それ?」と思ってしまいました。
でもメールがくるなら以前チェックしたのでせうね。*1
だったらこの著者の本でも読んでみようかと,図書館の蔵書を調べたら,全10巻のシリーズを見つけ,その巻数の多さに興味をひかれたので,1巻から読み始めています。
- 作者: 加藤寛一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/02
- メディア: 単行本
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航空力学的なことはよく分からないところがあり,そこはあいまいに飛ばしていますが,様々な資料をもとに,専門外の一般読者でも読める事故レポートだと感心しながら読んでいます。*2
1985年8月12日の日本航空123便墜落事故について取り上げられているのは印象的でした。
当時の報道で事故原因として「隔壁がうんぬん」と盛んにいわれていたことは,子どもながらおぼろげに覚えているのですが,それが一体どういうことだったのかが,理解できました。
- 墜落した本機は,過去に着陸時に尻もち事故を起こしていた。
- その際,隔壁を修理するときに使った補修板が,1枚ではひび割れをおおいきれず,2枚の板で補修してしまい,強度の点で問題が生じた→金属疲労によるボルト破断につながった
- 機体最後部にある隔壁が吹っ飛んだのと共に,尾翼を含む機体尾部大損傷→余裕(冗長性)をもって4系統にされていた油圧制御系は尾部に集中していた→4系統油圧制御系全滅→機体コントロール不能→迷走の末墜落
- 機内では隔壁破壊により気圧が急低下→酸素濃度低下→客室には酸素マスク自動降下→しかし操縦室の乗員(機長等)が酸素マスクをしていた様子が記録からはうかがえない→低酸素症による判断力(パフォーマンス)低下の可能性?*3
今日は第2巻を読み終えたところです。
- 作者: 加藤寛一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/02
- メディア: 単行本
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先進的かつ巧妙な(複雑な)システムを導入したが,人間との「相性」が悪く(あるいは「適応」しきれず),残念な結果になってしまったというように読めました。
本書の最後は以下のように締めくくられています。
挑戦と安全
新しい航空機,あるいは新しいシステムには,潜在的に誤りが含まれている。人間のすることに,ミスは避けられない。人間がかかわる限り―操縦でも設計でも―必ずミスは含まれる。
では新しいものへの挑戦を避けるべきか。仮にそうしたら,進歩は止まる。それは現在起きている誤り―事故―を持続することを意味する。これを黙認することも,避けてはならない。
では,どうすべきか,対照的な二つの行き方がある。
一つは,真っ向から戦いを挑む。エアバスA320のフライ・バイ・ワイヤーは,その典型である。古くはデハビランド社のコメットの例がある。MD-11の静安定緩和(リラックスト・スタビリティ)*4も,この系列である。しかし,いずれも高価な代償を支払った。
対極をなすのは,保守的な道を守り,変更を最小にとどめることである。ボーイング機がその典型である。ボーイング707の初飛行は,コメットの初飛行に五年遅れた。フライ・バイ・ワイヤーでは,ボーイング777はエアバスA320に七年遅れた。しかもボーイング777では,ホイールとスロットルに旧型を残した。そしてボーイング社の新型機に,大事故はない。
いずれが正しいのであろうか。あるいはこれは,文化の違いであろうか。
ところで,昨日授業後にSAさんとちょっと雑談している時に,こんな本を読んでいるんだ〜と上記の本を見せました。
すると,ひとりが,「日航機123便に,僕乗っていたはずらしいんです」と言い始めました。
よく聞くと,1985年8月12日当時,母上のおなかの中にいたということで,当時東京に住んでおられたご両親+ご兄弟がお盆の帰省で当該の便に乗る予定だったのだそうです。理由は尋ねませんでしたが,何かでその便を取りやめたので,まだ生まれていなかった自分を含め家族全員が命拾いしたということのようです。
その墜落事故に関する本を(偶然のきっかけで)読んだ直後に,またまた偶然,身近でこんな人に出会うとは,ちょっと不思議だな〜と思ってしまいました。