人間って,昔も今もあんまり変わってない。
ケータイ小説をなめてはいけない──日本近代文学と「女学生」(猪瀬直樹の「眼からウロコ」)
トーハンが、書籍の「2007年 年間ベストセラー」を発表した。文芸部門では、女子中高生が愛読するケータイ小説がベスト3を独占。ベスト10のなかに5作がランクインした。
この現象について、英国紙タイムズから取材を受けた。海外のメディアも注目する現象なのだ。日本の純文学の関係者は、「素人が書いており文章がつたない」「ストーリーが型にはまりすぎ」などとケータイ小説を酷評している。
純文学の関係者だけではなく,一般にも「くだらない」など,ネガティブな論調が強いのではないかと思います。現に,ケータイ小説が流行っているとかいうニュースをTVで見たとき,lionusも( ´_ゝ`)フーン という感じでした。
だが、「くだらない」の一言で切り捨てることはできない。
このブームの根底にあるものを読み解くには、日本の近代文学史、それも教科書では教わらない、近代文学のほんとうの誕生について知る必要がある。意外かもしれないが、ケータイ小説は、近代日本文学の伝統の流れの延長に位置するものなのだ。
記事の続きにはさらに,
「女学生」の投稿雑誌、オフ会は明治時代から存在していた
ことが紹介され,そこでは
作者と読者が非常に近い環境にあり、その関係は密度が濃い。その濃い密度が流行をつくり出している。
と,いうことを指摘し,現在の「ケータイ小説」との共通点が説明されています。
それだけでなく,当時の「女学生」という存在について以下のように評し,
明治時代に誕生した「女学生」は、不可思議な存在だった。日本に初めて登場した「目的のない、自由な時間を持つ女たち」だったからだ。
自転車に乗る「女学生」は時代の最先端を走っていた。
そのような「女学生」の「無意識」が捉える「未来をつかまえる感性」が影に日向に近代日本文学に影響していることが指摘されています。
詳しくは記事を読んでいただければと思いますが,さすが作家先生,コラムタイトル通り「眼からウロコ」で面白かったです。