lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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ペットと日本人/ヒトはなぜペットを食べないか(久々にペット関係。)

ペットと日本人 (文春新書 (075))

ペットと日本人 (文春新書 (075))

著者ご本人も猫を飼ってらっしゃるそうで。
多方面への地道な調査の積み重ねの上に,極めて「まっとう」なことを書いておられる印象でした。

誤解を恐れずにいえば,飼い主は「自らが喜び,幸福になるために,ペットを子供や家族のように扱っている」のである。

しかし,こうも書かれています。

犬や猫は食物を与えられ,安全な住家を与えられ,愛されるかわりに,入居者の心身の健康を向上させ,生きる力を与えている。さくら苑における人と動物の交流からは,互いを「伴侶」と呼ぶに相応しい温かさが伝わってくる。

広い意味でいえば,CAPP活動やAAAに携わる動物たちは,明らかに使役の役目を負っている。しかし,それが彼らを不幸にしているとはとうてい思えない。

もう少しこの辺について考えてみたいと思いました。

ヒトはなぜペットを食べないか (文春新書)

ヒトはなぜペットを食べないか (文春新書)

先述の本にも,この本にも,日本人の動物観(あるいは動物の扱い)の歴史的変遷について解説されていたのですが,微妙に違うのが興味深かったです。
先述の本では,日本人は仏教の影響で肉食禁忌だった,と大体通説通りのことが書いてあったのですが,この本では次のように述べられています。

日本では天武の禁令以後,条件つきではあれ,またその範囲が多少変わったに白,家畜・家禽が禁食の対象となっていた。ふつうこれは仏教思想の影響のせいと考えられているが,確かにその原因の一半ではあったにしても,すべてではないだろう。というのも,狩をほしいままにして鳥獣が尽きるまで殺戮に耽った雄略などの古代王の伝統をひきついで,仏教伝来以後も(中略)支配者層は堂々と鳥獣を殺し,食べ,臣下にも分配していた。下々の者もこっそり犬猫にまで舌鼓をうっていたことは,既述の通りである。

むしろその根底には人間と動物との関係の日本的特殊性があった,と考えられる。先に民話の異類婚譚で明らかにしたように,日本では人間と動物が半ば同類,半ば異類の,どっちつかずの曖昧な状態にあり,その間を隔てる垣根が低かっただけに,人間から疎遠な野生動物にもヴェン図形*1のメッシュがうっすらかかっていたが,人間に近づくにつれ網版の点が大きく強くなり,飼育動物を境界上の存在として禁食にしていたものと思われる。

一応,仏教の影響はある程度は認めているようですが。
仏教からでないとしたら,その日本的特殊性はどこからきているのでしょうか。それは分かりませんでした。

*1:自分(A)と自分でないもの(A')の集合からなる。AとA'は一部重複している。