震災の頃のゼミメンバーはバラバラ。
阪神・淡路大震災が起こった頃,私は大学生でした。
当時の下宿は震度7の被災地で,少々パニックになった私は,翌日,伊丹の空港から,羽田経由で広島の実家へ飛行機を乗り継ぎ逃げ帰りました。
震災当日からろくなものを食べていなかったので,たどり着いた実家で空腹を満たし,人心地ついた頃,「あ,学校に安否を連絡しなきゃいけないんじゃないのかな?」と思い,「文学部に個人が連絡するのはナンだから,ゼミの先生に電話すれば安否報告になるか。」と,学生専用の留守番電話*1に「lionusです。無事です。広島の実家に帰っています。」と入れました。
震災の後,連絡があったのはlionusさんだけだったよ。
後に,指導教授はこう言っていました。20名強のメンバーのうち,たった1名だけというのは,なんてバラバラというか求心力がないというか。
うちのゼミは猫ゼミ*2だから。
と,いうのが口癖でしたが*3,さすがにこれはこたえたというか,肩透かしを食った形なのか,寂しそうでした。
震災前まで,lionusは多数の”猫”たちの1匹に過ぎず,2年経ったらさようなら(卒業)という見通しのはずだったのですが,今思うとこの留守電をきっかけに,その後指導教授とは10年来のお付き合いになったのかと。
人生はよく分かりません。自分でこうだと押して進むことはうまくゆかず,天から降ってきたり,手を引っ張られておっとっと,という方向にするする進んでいっています(苦笑?涙?