教養の力 東大駒場で学ぶこと(本物を見極める目とか。)
- 作者: 斎藤兆史
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/04/17
- メディア: 新書
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大学生のための「学ぶ」技術
この2つは学生対象でしたが、今回は東大駒場で教養教育に長年携わってきた英語の先生の立場から、(大学における)教養教育とは何か、を真正面から論じている本です。
ただし、難しいことはなく、個人的体験やご本人の専門である英文学の話などを交えながら、親しみやすくざっくばらんに語っておられ非常に読みやすいです。
中でも、初年次教育のクラス(東大教育学部「基礎演習」)で、将棋の駒をネタにして「本物」を見極める「目利き」について扱ったところは印象に残りました。
p.102
どこからどう見ても情報としておかしい*1と思うのだが、一年生たちは「どこからどう見」たらいいかも分からない。「信頼できる、学術的な」文献を読み慣れていないので、資料の見分けがつかないのだ。資料を見る目が養われていないと言ってもいい。
p.102
そういう抽象的な話をしても面白くないので、授業の一部を使って、息抜きがてら私の道楽の一つである将棋の駒を使って「ものの見方」についての説明を行なった。
pp.102-103
将棋の駒にかぎらず何かの目利きになるには「上物、本物」しか見てはいけないのだが、学生たちが駒の目利きになる必要もなく、安い駒を使ってちょっとした実験を行なった。
まず学生たちの間に二組の駒を回して見せた。一方は一万円くらいの駒、もう一方は三万円くらいの駒、いずれも普通の「彫り駒」である*2。ただし、それを回す際には値段を言わず、「一方は安い駒、もう一つはべらぼうに高価な駒」だと半分嘘をついて、どちらが高い駒かをあてるようにと指示した。
p.104
いい将棋駒を見慣れた人間にとって、駒の良し悪しを見極めるのはさほど難しくない。私は将棋道楽の父親の影響で小さいときから高級*3な駒に触れ、ときにそのような駒で山崩しや回り将棋などをやって怒られていたので、安い駒はひと目で分かる。もちろん学問の役に立つわけではないので、自慢になる特技ではない。
p.104
さて、学生の反応はと見ていると、やれこっちが高い、こっちが安いと侃々諤々議論している。しばらくしてどちらが高いと思ったかと聞いて挙手などさせたあとで、最高級の盛り上げ駒を見せて回った。父親が所有していたもので、1993年に宇都宮で名人戦(名人・中原誠 対 挑戦者・米長邦雄)が行われた際、地元の名駒として提供したほどの名品である。
p.104
本当に高級な駒とはこういうものだと説明すると、学生の多くはその美しさを見て納得顔をしていた。そして、将棋の駒であろうと、学術的な文献であろうと、良し悪しを見極めるためには、まず優れたもの、「本物」に触れなくてはいけない旨を説明した。
うひひ*4。
そして、
p.104
初年次教育の課題は、ほかにもいろいろあるが、まずは「本物」をたくさん見せ、情報を瞬時に選別する目を養うことが第一の課題であろう。
とまとめておられます。非常に分かりやすい。
と、スカッとした直後、一転して少しもやっともしてきました。
そもそも、そのような百万超えするような高価な駒を持てるような家庭ってそんなざらにあるものではないし〜、だったら先生のように「本物」にふれる機会もなく、「目利き」になれる機会もないじゃんか〜
「目利き」でないとダメってさ〜これってまさに「格差の再生産」じゃないの〜
ただしかし、(原則的には)”出自”はどうであれ試験に受かれば入れる大学で、このように「本物」にふれる機会があるからこそ、「格差」の連鎖も断ち切れるのではないか?とも思い直しました*5。