lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

「遺言」めいたもの=明かされなかった事実の暴露の始まりか。

原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報
毎年,8月6日と8月9日にはNHKスペシャルを見ることはlionusにとっての恒例行事です。
どのように,(NHKスペシャルで)広島・長崎原爆が取り扱われるのかを見たいためです。
今年の広島原爆記念日のNスペは,「情報(インテリジェンス)」が有効に扱われなかったことの暴露でした。

日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。

あまり機能していなかったなどと,イロイロイロ言われることの多い,旧日本軍のインテリジェンス関係。
しかし,インテリジェンスの最前線の人たちは結構頑張っていたようです・・・

8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。

番組では,広島城内に設営された大本営支部(?)に動員された女学生の生き残りの方が証言されていました。ご本人は,空襲に備えた地下室に詰めておられたので,爆心地から700mの距離ながら無事でしたが,すぐそばで朝礼をしていた同級生*1は皆亡くなられたそうです。
同級生の看護にあたったそうですが・・・変わり果てた姿になった同級生が,それでも捜し当てた親御さんに見守られながら,”私はお国のために死ぬのですから・・・”と言いながら絶命していったと語っておられたくだりは画面を直視できませんでした。
もし,空襲警報が出されて朝礼が中止され,何らかの待避行動がとられていたなら,助かった人はもっと多かったかもしれませんね・・・

そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。

九州全土の防衛を”任されていた”とする大村飛行場の紫電改パイロットの方が証言されてていましたが・・・

  • 長崎(広島)の原爆を投下したB29は(高度1万メートルを航行可能な紫電改なら)落とせない飛行機ではない(実際落とした実績がある)。
  • 分かっていたなら,なぜ出撃命令を出さなかったのか。

という旨のことが出て,締めには

  • これが日本の姿ですかね。こんなことを許していたら,また同じ事を起こすんじゃないですかね。

と,語られていました。
つまりは,現場の優秀さを上層部(首脳)部の無能さが台無しにしてますよっていう感じでした。
思いっきり,今回の東日本大震災に続く,福島原発のアレコレを言っているようでした(ただし,インタビューは当然編集を経ていますから,この元パイロットの方がそのような意図をもって発言されたとは限らないことに注意せねばなりません)。
いつこのインタビューが収録されたのかは知りませんが・・・

・・
・・・
それにしても。
このNスペで衝撃的な「証言」をしてくださった方の多くは平均寿命を越えた,90歳前後の方ばかりでした。
紫電改パイロットの方は88歳のご高齢ながら,比較的しっかりとされているご様子が印象的で,ううむ,やはり当時の紫電改乗り=エリートパイロット*2は生物学的にも頑健(=エリート)なのかしら,と妙な感心をしてしまったのですが,その他の方の昔のことを証言される様子は,確かに精神は一定の清明さを保っているものの,残り少ない生命の灯を駆り立てているような印象を受けました。
先の戦争時に,「現役」であった人の「証言」を得るためには,この数年が「勝負」ではないかと・・・言い換えれば「遺言」として,かつて語り得なかったことを引き出し,記録するための・・・

*1:朝礼場所は当時の「練兵場」だったと思われ,そうだとするとぽっかり開けただだっ広い場所だったので,熱線を遮るものは何もなかったと推測。

*2:この方は,番組内で,実は(任務で関西から九州に戻る化途中で?)広島原爆の投下に航行中遭遇したと語っておられた。原子爆弾の爆発を目撃した後,その爆発に巻き込まれて自由を失い500mほど降下してやっと姿勢を取り戻して・・・と言っておられたくだりはさすがと思った。