lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

狙ってますたね。

中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ

考えてみてくれ。
日本で一番いい大学といわれている東大にいったい毎年何人入学すると思う?
3500人だ。
大学院も合わせたら全部で20000人もいるマンモス大学だ。
早稲田や慶応の学生にいたっては一学年だけで何万人もいて、それこそひとつの都市と同じぐらいの人数がいる。
そんなたくさんいる人達に何らかの希少性が生まれると思うか?
答えはもちろんノー。
その点、超難関中学はせいぜい100人や200人の超エリート小学生しか入学できない。

RSSには登録していましたが,うる覚えというかうる読み状態だったので,元々どういう発言軸の方か自分の中で確立していなかったのですが,何か妙なことを書いておられるなあと思いました。
その100人とか200人とかは,その学年の関東圏における”エリート”なだけで,その母集団を全国や数歳違いの層まで増やしたら果たして”エリート”と評すことができるのか。
また,そもそも,その100人とか200人とかは,”超エリート小学生”なる呼称にふさわしい境遇を将来得ていたか?・・・lionusの狭い知見からも,それは結構疑問なのですが・・・と思いました。
でも,次の日に早速こんなエントリーを上げておられました。
天才小学生たちはどこに消えた?
もしかすると,このエントリーの「前座」として,先のエントリーをまず書かれたのかもしれませんね。
結構な釣りでせうか。
分かんないけど。
それに,2番目のエントリーを書かれた後にこんな記事を書いているlionusは後出しじゃんけんですねえ。
すみません。
さて,ここからはlionusが漠然と思っていることなのですが,上記1番目の記事に書かれているようなで,超超名門の中高一貫の学校に行かれた方で,まあ上記2番目の記事にあるような「理系だと年収1500万円ぐらいの勤務医か年収700万円ぐらいの大企業のエンジニア、文係だと年収1000万円ぐらいの官僚や弁護士」くらいに着地している群は,そこそこ社会経済的に報われているせいもあるのでしょうか「金持ち喧嘩せず」的な雰囲気を持つ人が多いような印象があります。
しかし,「やっとのこと博士号を取った元神童の人たちは、ポスドクや非常勤講師を転々」と2番目の記事に書かれているような群,この中には,昔”超エリート小学生”であったという”呪い”にかかったまま,どうしようもなくこじれてしまっている人もいるように感じています。
”超エリート小学生”になり,そして超超名門の中高一貫に入学するのも,すごいコストがかかりますし,また,その超超入門に入学した後も,周囲は選ばれたエリートばかりですから,その中でさらにエリートになることは,入学前に費やしたよりもさらにコストが必要なことと推察します。
その中で,「あ俺(私)もうダメだわ」とずるずると後退して,大学受験時に「結構ただの人(まあそれでも世間一般的にはかなりのレベルなのですが)」になっている人も多いのではないかと思います。
でも,大学受験時に「結構ただの人」になっていれば,まだ18歳前後ですから,大学受験あるいは卒業後の就職で,「世間一般的それなり」の社会経済的地位をゲットできる可能性もあるし,その可能性は高いとlionusはみています。そして,「それなり」の社会経済的地位をゲットした「大人」になった後は,フツーのよき一市民として生活し,自分からは母校について語らないものの,ふとした機会に問われれば,「実は・・・」と複雑な恥じらいを含んだ口元で,でもさらりと告げたりする人になっていそうな気がします。
しかし,超超名門の中で必死にある一定のポジションを維持し,そして1浪程度で超超名門中高一貫校にふさわしい程度の大学に入学し,さらにサイエンス(アカデミック)のエリートを目指して大学院まで行ってしまった場合は,なかなか難しいです。
超超名門校の人でも,上記2番目の記事にあるようなタイプと違い,「お勉強」と「研究」の違いをいつか乗り越えてヴァリヴァリ自分の道を切り開いていける人は確かにいます。いると思います。
けれども,上記2番目の記事のような,「お勉強」と「研究」をなかなか弁別できなくて,その華麗な”学歴”に比して”くすぶって”,ひどい場合は”行方不明”になってしまう群も意外に多いですね。
”くすぶって”いること自体,もったいないというか気の毒かもしれませんが,さらに悲劇的だと思うのが,「子どもの頃からあれやこれやを犠牲にしてきたのにこの体たらくとは」という,報われなさに対する強烈な憤懣・ルサンチマンです。
あれだけ,言われる通り,お「勉強」して,とてつもない成績を叩き出してきたのに,その結果がこれかよという,渾身の恨みですね。
sunk costのあまりの高さのゆえの”呪い”ですね。
社会経済的に恵まれないままの状態が長く続くほど,この”呪い”は自己増幅してゆく危険性を孕みます。
言い換えれば,どんどん要求水準(理想)が高くなっていく可能性ですね。
これは,一種のpositive illusionとして説明できるかもしれません。
いつか俺(私)だって・・・という。