lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

欲ばり過ぎるニッポンの教育(リソースは有限。)

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

以前,生兵法は怪我の元? という記事で,学力世界一のフィンランドの教育に学ぼうという動きに,少々疑問を感じたことを書きました。
その後,M氏に薦められて上記の本を読みました。
日本とフィンランドとでは,それぞれ社会(国)における学校の位置づけが大きく異なるため,フィンランドの教育を真似るのは難しいのではないかと感じました。

学校に依存することによって、近代社会をつくってきたんですよ日本は。多分そこがヨーロッパの社会と比べたときに、根本において一番違うんじゃないかと思います。じゃあ、日本が高校進学率60%のままだったらどうなっていたか。大学進学率が15%くらいでとまっていたら、今どうなっていたか・・・・・・。学校にまつわる社会問題は、きっと今の半分以下ですよ。そのかわり学校の外側にたくさん問題があったと思う。学校や教師が問題にしなくてもいい、そのかわり警察や福祉関係の機関や病院や、ほかのところが問題にしなきゃいけない事柄がたくさん出たと思う。

進学率が上がって、学校の役割がある部分拡大した理由は、学歴の問題もあるし、職業につくための問題もある。でも、それだけじゃなくて、青少年の問題を、警察とかが直接扱うよりも、学校が扱っておいたほうがソフトに扱える面があるでしょう。いい悪いは別にしても、ほんとうに悪くなる前に、ある程度予防的に、それこそ非行の段階でとどめておくことによって、そこから先の再犯率が低くなるという面もあるでしょう。

すごく納得してしまいました。
以前からlionusも,いわゆるDQN(すみません;汗)高校の存在意義って何だろうと思い,上記と同様な結論で自分勝手に納得していたことがあります。・・・一部の大学もそのような存在意義あるいは機能があるような気もしますね・・・小人閑居して不善を為さないように,というか・・・

学校に対する負荷を高める社会と、学校に対する負荷をそれほどかけない社会で、学校が実際にやっていることの中身は違うということですよね。

北欧に代表されるような福祉社会では、負荷が社会全体のいろいろなところに分散している。

そういうところで社会がうまく回るような仕組みができ上がっていれば、学校が負わなきゃならない役割というのは比較的小さくて済みますよね。裏を返せば、学校はある意味で、伸ばしたいところを伸ばせるわけです。

本のタイトル通り,日本の社会は学校に何もかも求め過ぎているというお考えのようです。
その後で,著者のひとり増田ユリヤ氏による別の本も読んでみました。

教育立国フィンランド流教師の育て方

教育立国フィンランド流教師の育て方

フィンランドの教育現場からのレポートです。前半が保育所〜高校までの学校現場の様子のスケッチ,後半が教員養成の実態レポートになっています。
lionusはフィンランドに行ったことがないので,実のところどうなのかは分かりませんが,非常に分かりやすいレポートでした。
学力世界一といっても,図書室がある学校は少ない*1とか,日本の学校の方が充実している点も結構あるようでした。
でも,最も重要な「教師」について大きな差があり,これが最重要ポイントであると感じました。教員養成にかける気合いが全然違います。
何しろ,教育実習の時間数が桁違い!小学校のクラス担任資格を得るためには,最低312時間,教科担任(日本でいう中・高の教員免許に近い)資格では約530時間です。一方,日本ですが,lionusが学生だった頃は2週間(平日当たり7時間,土曜はその半分として77時間)でした。
色々と心に響く記述がありましたが,一番ドンピシャだったのは

「今後の課題は何ですか?」2008年1月,PISA調査の結果をふまえて,国家教育委員会で質問を投げかけたとき,「それは特別な支援が必要な子どもたちのための教育です。これまでも努力してきましたが,まだまだ全然足りません。」と即座に答えがかえってきた。一人たりとも落ちこぼれをつくらない。自立できる人をつくる。この姿勢がフィンランドの教育の強みだ。

少子高齢化する社会では,きちんと自立して税金を納めてくれる人が育ってくれないと国は立ちゆきません。
日本はどうでしょうか。胸が痛いです。

*1:地域の図書館で本を借りたり,前もって予約して持ってきてもらうとか。