lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

ムチかニンジンか。

危機感駆動型ニッポンの危機!?ネガティブなニュースの濁流に流されるなNBonline

日本人に多い類型は「危機感駆動型」であると言える。「このままではお前(日本)はダメになる!」「危機だ!」と言われると強く反応して動き出すわけである。一方、米国人に多い類型は「希望駆動型」である。「できるじゃないか!」「ステップアップできるぞ!」と励まされると強く反応して動く。こうして考えると、日米の様々な違いが説明できる。

ふむふむ。
筆者は,なぜ日本人は「危機感駆動型」なのかについて,「日本のたどった現代の歴史的な環境、「生い立ち」に負うところが大きいのかもしれない」と考察しています。

「日本は天然資源の乏しい小さな島国。だから資源を輸入して高品質の製品を製造、輸出して外貨を稼がなくては経済が立ち行かなくなる」
これは戦後の日本人の多くが共有した一種の「教条化された危機感」である。「臥薪嘗胆、富国強兵」は「輸出振興、高度成長」に代わったが、下地にあるエートスは同じ「危機感」である。

近年「学力低下」等,(特に次代を担う若い世代の)日本人の”劣化”についての危機感が広く一般に共有されていますが,これは上記の「危機感」を背景に持っているはずです。
一方,「希望駆動型」の米国は,フロンティアを求めて新大陸に移住した移民の国であることが背景にあると考察されています。
「裸一貫」で何の保証もない土地に賭けた人たちですから,未来をポジティブに考える人種でないはずがありませんよね。未来をネガティブに考えるタイプならば,現状>(行動した場合の)未来ですから,新大陸に渡るとは思われません。
どちらが適応的かは,それは本人の置かれた状況に依るところ大なので,どちらがどうともいえませんが。
しかし,筆者は,これからの日本人は「希望駆動型」でいく方がよいのではないかとも提案されています。

どうも今日の日本で語られる「危機論」や「このままでは没落する論」は変革機運に結びついているというよりも、むしろ自己暗示的な自縛や閉塞を生んでしまっているような気がしてならない。
日本が今日直面している1つの問題は「危機感駆動型アプローチ」の限界それ自体なのではなかろうか。危機感駆動型の限界は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことにある。

財政赤字、年金不安、少子高齢化地球温暖化──。今日の日本の諸問題は放置しておけばやがて大禍となろうが、何もしなくても今日、明日に困るものではない。危機感駆動型アプローチが最も苦手とする代物なのだ。

日本人の組織(政府や企業等)の悪い点のひとつに,「ゆでがえる」のエピソードを用いて指摘されていたのをどこかで見た気がします。
カエルを水に入れて徐々に熱していったら,逃げる様子もなく,そのまま茹で上がってしまう,というものです(ホンマかいな)。悪化していくのが徐々に進行していく場合,危機感を持たずそのままオワタ\(^o^)/になるってことのようです。

アプローチを切り替えて希望駆動型にシフトし、個人レベルでは各人の弱点を強調、矯正するよりも、強みを伸ばす姿勢を取るべきではないだろうか。組織や社会のマクロレベルでは長期的な将来の目標を掲げて牽引する方策の方がよいのではなかろうか。

最近,「希望」を自給自足して自分の燃料にしてゆける人が強いのではないかとずっと考えています。
同じようなことを考えておられる方の記事を見てちょっと心強くしました。