lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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科学哲学者 柏木達彦の冬学期(ウィンター・ターム)―原子論と認識論と言語論的転回の不思議な関係、の巻(京都の冬は足の底から寒い。)

「冬の京都」というと,とても趣あるように聞こえますが,実際は寒い・寒い・寒い,の3連発です(←意味不明
いずれにしても理不尽に寒いので観光には向かない,ということです。

小説の体をとった哲学入門書の第2弾です。冬の京都の大学(恐らく京大がモデル)を舞台にして哲学ばなしが繰り広げられていきます。
「原子仮説(または原子論)」にびっくり。

近世哲学では心の中とか観念とか表象とかが問題になったのに対して,言語論的転回においては,言語の分析というか,言語の研究が,前面に出てくる。

#認識論的転回の延長線上に言語論的展開を位置づけ。

認識論的転回の担い手たちは,純粋な観念や表象を,扱おうとした,あるいは扱うことができると考えていたふしがある。

ところが,言語論的転回になると,言語抜きに観念とか概念とか表象とかが扱えるというのは,基本的に誤っているんじゃないか,と言うわけです。

#言語抜きの思考というものはほとんど考えられない。

あらゆる認知が言語的であるとすれば(中略)すべてそれらには言語が介在しているとすれば,(中略)自分たちが正しいと思っていたり,信じていたり,そうではないかと考えていることを,自分たちのそうした営みとはまったく独立に成り立っている何かによって認識するということは,根本的にはありえない,ということになる。

#あらゆる知的営みを「正統化」するある種の特権的知識=哲学などありえない?

結局のところ私たちは,こまごました,様々な,知識とかもっともらしい見解とかを頼りとして,個々の問題を解決するよう努力し,何が正しいかを考えていくしかないようです。

とりあえずローティさん(哲学と自然の鏡)がお薦めのようです。