lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

酷使,もとい,国試目前。

Yahoo!検索 - 言語聴覚師 国家試験 勉強しんどい
日記のリンク先にありました。
正確には言語聴覚なのですが。
検索して来られたのはSTSさんではないかと推測されますが,自分がなりたい職種名を間違えてはいけませんよ〜
それにしても,このキーワードで何を探したかったのかご本人に聞いてみたいです。

阪神・淡路大震災11年目。

以前の日記で,阪神・淡路大震災が発生した翌日には広島に逃げ帰ったことを,以下のように書きました。

少々パニックになった私は,伊丹の空港から,羽田経由で広島の実家へ飛行機を乗り継ぎ逃げ帰りました。

震災当日は案外冷静で,せっせと部屋の片付けに専念していたのですが,翌日近所を見回り,倒壊家屋など平常では有り得ない光景を目前にしたのはともかく,山手の高級住宅地からベンツやBMWなど,とりどりの高級車が(避難しようと)大阪方面へ通じる道に数珠繋ぎになっている状態や,*1大荷物を背中に背負って避難する下宿生を目撃し,「皆逃げるんだ」と「少々パニックになった」のです。
急いで少しの荷物をまとめ部屋を出て,伊丹の空港に着いたのは14時を過ぎていました。すでに大阪−広島,大阪−岡山の臨時便*2は出た後で,その貼り紙を見たlionusは「どうしようかな」としばらく思案しました。
思いついたのは,「羽田か福岡まわりで広島に帰ろう」ということです。
航空会社のカウンターで相談したところ,職員さんが端末をすばやく叩き,

  • 今から伊丹から福岡まわりで帰ると,広島行きの新幹線の最終に福岡空港からの乗り継ぎが間に合わない可能性がある。
  • 30分後に羽田行きの飛行機が出るが,羽田−広島便に空席があれば今日中に広島に戻れる。

ということを教えてくれました。まだ当時は九州には行ったことがなく,福岡には土地勘がなかったので,乗り継ぎに不安があるならと羽田まわりを選択し,*3羽田−広島便の空席を調べてもらいました。乗り継ぎはギリギリ20分だが,ちょうど空席があったので即決,30分後には羽田行きの飛行機に乗っていました。
羽田で乗り継ぎのため通路を走っていると,広島行きへの搭乗をうながすlionusへのアナウンスが流れていましたが,その名前が微妙に間違っているのです。lionusの名前は珍しいので,伊丹で航空券を購入した時に職員さんが聞き間違えたのでしょう。「羽田まわりで帰るなんて誰にも言ってないから,もし飛行機が落ちて私が死んでも,私が誰だか分からないかも」などと思いました。
無事広島行きの飛行機に乗り込み,座席でほっとしていると,周りは旅行帰りのような人々で,広島弁が飛び交い,いかにも楽しそうで平常の感じです。昨晩はお風呂にも入れず顔もろくに洗っていない,疲れた格好の私だけ妙に浮いている気がして縮こまりました。
実家に戻ったのは夜9時前だったと記憶しています。
地震発生直後に電話したきりだったので,こんなに早く戻ってくるとは,と家族は驚いて(ぎょっとして)いました。ただ,lionus母だけはなぜか「lionusはどうにかして今日中に戻ってくると思ってたよ!」と妙に自信たっぷりに語っていましたが(どういう意味だ?非常時に強いということ?)。
夕食の残りを出してもらい食べながらふと見ると,実家のTVは長田区の火災の映像を映していました。
初めて,被災地から「逃げ出した」罪責感が私の胸を突き刺しました。
それからしばらくの間は実家で,することもなくTV報道を終日見て過ごしました。かなり情けない気分だったです。
ところで,lionus祖父は震災から何年経っても事あるごとに,「うちの孫のlionusは行動が素早くて巧みだ」と嬉しそうにあちこちで上記の逃げ帰りエピソードを語っているそうです。
祖父の愛は感じますが,複雑な気分です。

*1:お金持ちは震災後数ヶ月単位で大阪等のホテルに宿泊避難していた。

*2:ご存知のように,高架が落ち山陽新幹線は寸断されていた。

*3:羽田なら乗り継ぎできなくてもある程度土地勘があったので,適当なホテルに泊まればよいと考えた。