lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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「日本」の終わり―「日本型社会主義」との決別

『銀行収益革命』で引用されていて興味を持ったので読んでみました。
1998年とちょっと昔の本ですが、内容は全然古くなってないと思いました。
本書で述べられていた規制緩和・自由化の方向には若干進んでいるとは思いますが、まだまだ「官」の支配が強い「日本型社会主義」は根強く、むしろ近年はその方向への揺り戻しが来ているのではないでしょうか。
その意味で発行から20年近く経った今でも読む価値がある本です。
もー色々と喝破し過ぎなのですが、自分の普段の興味関心からそうそうと膝を打ったテーマが2つ。

  1. 企業の大卒新卒の採用活動
  2. 企業犯罪(企業の不祥事と言い換えてもいい)

まず、1つ目の企業の大卒新卒の採用活動については、

p.197
とにかく、昔の指定校方式は、企業、学生、そして大学の三者にとって、簡単で効率的で苦労の少ないものであった。

p.197
「採用にあたっては、大学の名前とは無関係に、すべての学生に等しくチャンスが与えられるべきである」というタテマエが支配するようになったために、現在のような異常に激しくて労多い就職活動・採用活動が行われるようになった。

ほんとこれ。選考される側も選考する側も壮大な無駄労苦なのではと傍から見てていつも思います。

p.197
これにくらべて、大学受験の方ははるかに合理的に行われている。チャンスは万人に平等だからといって、数十万人が東大に挑戦するといった無意味なことは起こらないし、また起こりえないようになっている。大学受験の場合には、受験生は偏差値という情報を利用して志望大学を選び、自分の学力に見合った大学に落ち着くようになっているのである。ところが就職活動では、この個人の偏差値にあたる情報が存在しない。

概ね同意だけど、大学受験は一応有料で、企業へのエントリー(そのもの)は無料という観点が抜けているような。
で、著者は「ネットワーク*1の活用」を提案しています。引用すると長いのでざっくりまとめてみました(でも長いけど)。
(1)企業はホームページで学生に詳しい情報を提供
(2)学生遅くとも3年生の頃から自分のホームページをつくって、有効だと思われる自己情報(履歴書的内容や自己PRの他、希望する業界や職種なども)を提示
コメント:顔写真は載せないほうがいいかも?
(3)企業の採用担当者は学生ホームページを閲覧し、いいと思ったらメールでアプライ→一定期間中(たとえば4年次の夏休み中とか、これだけは「就職協定」を決めて遵守する)に面接
(4)一流大学学生やホームページ内容が魅力的な学生はすごく有利になってしまうだろうが、それはやむをえないだろう
コメント:就職情報サイトの裏側で「学歴フィルター」をこっそりかけられるよりも透明でいいじゃないか
(4)の続き:しかしこのネットワークを利用したマッチングの結果、割を食う(無名大学学生、ホームページをもたない「ホームレス学生」など)学生に対しては「採用センター方式」をとることも考えられる
(5)企業側はカネと人間を、大学側は主として人間を提供して「採用センター」を設立
(6)「採用センター」は夏休み中に共通試験を実施(専門分野の学力、一般常識、適性など→SPIみたいなやつ?);会場にはそれぞれの大学;この結果を「大学入試センター試験」的に使う
(7)学生は「採用センター」に自己情報と志望を提出
(8)秋以降に、企業はセンター試験の結果と志望を見て、面接したい学生に優先順位をつけてセンターに申し込む
(9)センターによる「需要と供給のマッチング」はコンピュータ上で行う
コメント:ORでやれば簡単だよね(←適当
(10)このマッチングにより最終的には面接が行われ、内定者が決まる
(11)12月頃に、最後まで内定が得られなかった学生を集めて、全国各地で「集団面接」を何度か実施する
(12)センターに加入しない企業と加入しない学生は何らかの方法で独自に就職・採用活動をするほかないが、それももちろん可能
コメント:そもそも、このネットワーク方式をどうやって企業に使わせるかだ・・・これ、既存のリクナビとかマイナビにさせたらいいだけの話か?
コメント:というか、そもそも、在学中に就活させなくてもいいんじゃないのか?卒業後1〜2年の間に就活っていうのでいいのでは?

2つ目の企業犯罪(企業の不祥事)については、

p.253
外に出れば法律違反で犯罪とされることでも、会社から強制されればやらざるをえない。それを拒否し、会社に背いて法律を守った時の不利益は、法律を犯して会社に忠誠を尽くした時の不利益よりもはるかに大きい。会社人間はそう思いこんでしまう。実際にはそれは錯覚にすぎないのであるが。
会社のためには犯罪も犯さなければならないという会社人間のあり方は、組長の命令があれば殺人でも何でもやってのける暴力団組員のあり方とどこが違うだろうか。あるいは、自分が罪をかぶって「おつとめ」を果たせば、その間組が妻子の生活を保障してくれるという話とどこが違うのか。

p.253
それにしても、会社という狭い世界の掟のために社会のルールを犯さなければならない人間が健全な精神状態でいられるはずがない。それを「板ばさみ」状況と見て同情するのもよいが、本当はこの「自己決定不能の奴隷状態」がもたらす精神の荒廃こそ重大なのである。

はははは(乾いた笑い)

本書は、自分本位の生き方を勧めているところ、太田肇先生のご本と共通するところがあるな、と感じました。

*1:インターネット