lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか

災害後のある時期の一種高揚した”ハネムーン”状態について気になっていたので,題名そのものズバリの本書を読んでみました。
研究書というよりノンフィクション作家の作品,と捉えて読むならいい本だと思います。
災害社会学者E.フリッツの論文から引用し,「災害ユートピア」という状態について説明されています。

p.155 フリッツの最初の革新的な前提は,日常生活はすでに一種の災害であり,実際の災害はわたしたちをそこから解放するというものだった。人々は日常的に苦しみや死を経験するが,通常それは個人的にばらばらに起きている。「”通常”と”災害”の従来型対比では,日常生活に頻発するストレスとそれによる個人的または社会的影響のほうが常に無視されるか,軽視されてきた。それはまた,コミュニティ内でのアイデンティティに対する個人の基本的な人間的欲求を,現代社会が満たせないでいることを示す多くの政治的社会的分析を無視している。それは歴史的に一貫性があり,絶えず大きくなり続けているにもかかわらずだ」

p.155 のちに彼はこのコミュニティ内でのアイデンティティが災害時にはどのように実現するかを,具体的に述べている。「危険や喪失,欠乏を広く共有することで,生き抜いた者たちの間に親密な第一次的グループの連帯感が生まれ,それが社会的孤立を乗り越えさせ,親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し,物理的また心理的な援助と安心感の大きな源となる……アウトサイダーがインサイダーに,周辺にいた人が中心的な人物になる。人々はこのように,以前には可能でなかった明白さでもって,すべての人が同意する,内に潜んでいた基本的な価値観に気づくのである。彼らは,これらの価値観が維持されるためには集団での行動が必要であること,個人とグループの目的が切り離せないほど合体している必要があることを知る。この個人と社会のニーズの合体が,正常な状況のもとではめったに得られない帰属感と一体感を与えてくれる」

本書では,このような自然発生的なコミュニティが,消防や警察,行政など公の機関よりもはるかに迅速柔軟,的確に災害救援活動をなすか,といったことについて複数の災害事例を通じて示しています。
原書にはあるのかもしれませんが,訳本には参考文献リストがないため,文献芋掘りができないのは難点かも・・・
もうひとつ,先日の『災害の襲うとき』を再読したときに気がついたのですが,(欧米を中心とした)災害研究って,冷戦下で核戦争への備えの一環として行われた経緯があるのですね・・・当時は頭に全然フックしていませんでした。本書『災害ユートピア』にもそういった記述があります。