lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

限られた名人にのみ可能なことではないか。

学びにおけるインターラクション(佐伯胖,情報システム学会誌Vol.4, No.1,2008) ←PDFファイル

人間が学び知るのは,情報を収集し脳に知識を溜め込むことではない。そうではなく,モノ,人,コトの中でモノになったり,人の身になったり,コトの世界に我が身を放り込んだりして,そこでどういう事態が起こっていくかを全身で実感しながら納得する。これが,学ぶことであり,知ることなのだ。そういったことを,より可能にするのがDistributed Intelligence です。

学校教育で一般に行われているような知識の詰め込みでは,いざ状況に直面して使える知識になっていない。
それには同感です。
しかし,上記で言われているような「学習」を(特に学校教育の中で)意図的にさせるための「方法」は,まったく確立しているとはいえないのではないでしょうか。
安易な,「実習」や「グループ学習」「ワークショップ形式の授業」でお茶を濁すだけになりはしないでしょうか。
本稿であげられている「数学教育で数学を教えるのではなく,数学を作るという実践」などは,これは手練れの名人による「アート」の領域に入るものではないか,フツーの学校教師が真似をしようとしても粗悪な劣化コピーになってしまうものではないか,と勝手に思ったりもします。
ごく限られた名人のみが可能な「アート」を,フツーの教師でもそこそこ可能にできる仕組みは作れないでしょうか。