lionusの日記(旧はてなダイアリー)

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メディア・リテラシー (情報がひらく新しい世界)(大昔に確か履修した言語学の授業を思い出しました。)

メディア・リテラシー (情報がひらく新しい世界)

メディア・リテラシー (情報がひらく新しい世界)

記号論」についての初歩的な説明など,大昔学部時代に履修したはずの言語学の授業を思い出しました。

記号という概念は、あくまで人間の関与、すなわち読むという行為によって生ずる現象を表すものであり、決して人間の影響力から独立した客観世界の性質を表すものではありません。記号という概念の特徴はこの点にあるといえます。

うんうん。
「情報」という概念に興味を持ちはじめたのは,こう思ったからなのです。記号論については勉強した意識はないのですが,半分英文科みたいな生活をしていた頃があったので,今の自分にもその痕跡が残っているのかもしれません。
メディアリテラシーというと,「(マス)メディアにだまされないように!」という感じの鼻息荒い雰囲気を感じていたのですが,本書では,”だまされないための”主体性の成立そのものが外部から−例えばマスコミも−の影響から独立でないことを指摘しています。

私たちの主体性は、どのようにあっても、外部からの影響を断つことはできません。なぜならば、それは主体性が成立するために不可欠の条件だからです。

外部からの影響力を意識化することを通して、それらを「無条件の拘束力」から「主体性を拘束するが、すくなくとも自分はそのことを自覚している」という、「条件つきの拘束力」へと変化させていく必要があります。

「主体性が外部の影響力によってつくられることを再三強調してきましたが、このことは「外部から影響を受けることは良くない」という主張とは異なります。私たちの主体性が、社会的コンテクストという外部からの影響を前提として成立すること自体は、良いことでも悪いことでもありません。むしろ外部からの影響力を欠く場合、私たちの成長はありえません。

だまされないように,とか,だまされたとか思うのは,相手を無条件に信じていたという前提ありきなんだなと思いました。
さて,通読して感じたのは,だからどうなん?ということでした。メディアリテラシーとは何ぞやという,ずしっと実感を持った感触が得られなかったのです。
もう少し具体的にいうと,多分,本書はリアル授業でメディアリテラシーを養うためのワークをすることが前提の,授業テキストとして使われることを想定しているのかもしれないなと思いました。
巻末には文献ガイドが出ています。本書の記述はふわふわと消化不良な印象があるので,もう少しぐっとくるものが欲しいという場合にはさらに他の本を読むとよいのかもしれません。