lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

災害防衛論(年の功が味わえる一冊。)

災害防衛論 (集英社新書 (0416))

災害防衛論 (集英社新書 (0416))

災害心理学の大家による新書です。「年の功」と申し上げるのは大変恐縮ですが,災害・リスク心理学を長くされてきた立場から,学問的な厳密さはともかくとして,非常に含蓄に富んだ記述が各所に見られます。新書ならではの内容ですね。
本書では「災害弾力性」という言葉が頻出します。

災害を予防する力と災害に耐える力を合わせたものを「災害抵抗力」と呼ぶことにしよう。さらに,その「災害抵抗力」に被害からの回復力を加えた総合力を,「災害弾力性」と呼ぶことにしよう。

英語にリジリエンス(resilience)という言葉がある。弾力性という意味で,まえの状態に復帰する能力を意味している。

心理学では,ストレスや破壊的なことがらが起こっても,それに耐えられる能力,あるいは将来において生じるであろう困難なことがらを乗り越えていく能力としてとらえられている。災害心理学の観点からすると,この弾力性は,災害に耐える力,災害から回復する力のことである。

嬉しいですね。こういうことを災害心理学の大家が書いておられるのは。
そうなんです。
災害は,自然災害にしても,個人的災害にしても,人が生きていく上で出遭わないで済めばそれに越したことはありませんが,絶対に出遭わないという保証はありません。人が人である以上,災害は,100%避ける術はなく,出遭ってしまったら,もう,ほんと,甘受するしか仕方がないのです。
そういう意味では,「受動的安全」という言葉は示唆に富みます。浅学lionusは本書でこの言葉を初めて知りました。

自動車の安全走行を実現するためには,事故の未然防止と,事故が発生した場合に,運転者や同乗者,歩行者などへのダメージを最小限におさえる工夫やしくみが必要である。前者の事故の防止に関するしくみや措置を能動的安全(active safety)または予防安全性,後者の事故による被害を軽減するしくみや措置を受動的安全(passive safety)または固有安全性と言う。

さまざまな事前安全対策によって事故を減らすことはできても,事故そのものをなくすことはできない。いかにして被害軽減をはかるかが,最重要のテーマであるべきなのだ。能動的安全よりも受動的安全の追及を優位におくべきである。そして受動的安全を究極にまでつきつめていくと,被害をゼロにおさえることができる。これは能動的安全の完全な達成状態である。このことは,発電用原子炉の進化の事例からも明らかである。

あと,「都市は災害に強い」という考えは結構ショックを受けました。
lionusは,「もし現在の東京で再び”関東大震災”レベルの地震に遭遇したら,自分は生きていられないかも」という,まるで原光景的な恐怖から,東京ではなく関西の大学に進学したからです。
・・・まあ,そもそも,関西も結構な大都市で,かつ,関東と比べて”地震が少ない(起こらない)”とは決していえないので,今から考えるとその考えの妥当性は無きに等しかったのですが・・・

都市には,災害弾力性がある。都市は本質的に災害に弱いといわれることが多いが,これはウソである。事実はその反対だ。都市は複雑なしくみで成り立っているので,さまざまなところでぜい弱性があらわれることはある。したがって,災害が都市のアキレス腱を切断した場合には,都市の機能は麻痺してしまう。都市には政治・経済の中枢があり,財も人口も集中しているため,災害でこうむる被害の総額と人命の損傷の程度そのものは大きい。だが,アキレス腱の断裂が命を奪うことはない。

豊かに発展,成長した都市は,滅亡するかに見えるほど破壊されても,フェニックスのように自らの体を焼いたその灰のなかから甦るのである。関東大震災東京大空襲で徹底的に破壊をうけた東京や,原爆の被災をうけた広島や長崎の発展ぶりを見ればそれは明らかである。

ああ,そうだった・・・自分もそれを2004年8月の広島原爆記念日に放映されたNHKスペシャルで改めて実感していたっけ。

都市がカタストロフィから再生するのはめずらしいことではない。世界中には,戦乱や災厄などによる徹底した破壊から,幾度となく復活した都市が数多く存在する。都市は人々や民族のいわば乗りものである。乗り手が変わっても,この乗りものは走りつづける。人々に愛着される都市は,簡単には滅びない。(太字はlionusによる)