lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

そして私も記事の一部をコピペしている(苦笑)。

大学等で授業を担当し,学生さんに何かの事柄についてレポートを提出を求めることがある方なら,誰でも,「ネットからのコピペ」でほぼ全文構成されたものを目にすることは多々あるでしょう。
もちろん,lionusもその1人です。ですから,レポート課題を出題する際には,課題作成時の注意として以下のことを示します。

  • 引用の範囲を超えたほぼ全文コピペは大幅に減点か,もしくは採点の対象としない(ゼロ点)
  • 引用や参考にしたウェブページのURIを必ず示すこと(もちろん,書籍や雑誌を参考にした場合も文献として示すこと)

しかし,なかなか難しいのが現状です。特に,入学したばかりの1年生だと,引用とコピペの違いが分からないようで,複数のページから丸ごとコピペした文章をつぎはぎしたり,まとまった文章の形ではなく,自分のノート(メモ)のようにあちこちのサイトからの断片的な文章の箇条書きになっていたりすることが結構あります。もちろん,課題の要件を無視してほぼ全文コピペで提出されるケースも無くなりません。
なので,前述の注意に加えて,苦肉の策として口頭で

あちこちのページを読んで,使えるところをうまくブレンドした上で,自分の文章としてまとめてください。もちろん,そのブレンドの材料に使ったページは文献として示してください。

と補足しています。
そして,丸ごとコピペについては

人の書いたものを黙って自分のものにするのは,泥棒行為です。

(もちろん著作権うんぬんの話もしますが)このように締めます。
しかし,本当にこのような言い方が適切なのか,もっとよい表現の仕方がないものか,悩んでいるのですが,以下の記事は結構腑に落ちました。

 MADに与えられる評価は、異質の2つを合体させる「技術」に対して与えられるものではない。性質の異なる作品を選んできたセンスと、既存作品中のどこを選択してどこにどう貼り付けたかという、コピペの妙によって生み出された落差が、新しい価値として評価されている。
(中略)
 大学のリポートも、MAD的な手法であったら、それはコピペと非難されただろうか。つまりコピペが怒られるのは、コピーする対象さえよく吟味せずに、全文まるまるコピペするからである。だから逆にコピペ部分をどんどん細かく刻んでいって、沢山の論文の中から少しずつ少しずつ切り取って極限まで細かくいったら、それはもうほとんどオリジナルのリポートと呼べるのではないか。もちろんトータルで読んだときにつじつまが合っていなければならないが、それはもう編集テクニックの問題である。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0808/18/news010_2.html

編集でいいのか?と瞬間的に頭によぎりましたが,

 そしてそんなことが可能なぐらいその素材を深く理解しているなら、もう自分でも文章を書いた方が早いぐらいに成長しているとも言える。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0808/18/news010_2.html

MADを出発点としてレポートに対して考えてみたとしても,そうかもしれないなあと思います。
ちょっと例を変えてみると,書評(本の紹介)を書く場合,本の一節をコピペして使う場合があっても,どこを抜き出してくるかは,ある一定以上にはその本を読んで内容を理解していないとできないですよね。
レポート作成にも,似たようなことがいえるのではないかと感じました。だからそうかもしれないなあと思ったのです。
また,なぜコピペレポートがいけないか,ということについては,マナーとか倫理ということについ訴えがちなのですが,友人のMさんから教えていただいた社会学の本を読んでいて

道徳とは,ある種の話し方であり,問題と定義される状態を解決する用具であり,自我の欲することを承諾する方向へと他我の動機を変えていく際に自我が使うレトリックである。道徳という言語の社会的機能は,権力や強制を行使することなく,しかも報酬の提供とも切り離された形で,行為を惹起することである。

という箇所をこの春に読んでから,ずうっと心に澱のようなものが漂っていました。
上記のように道徳がレトリックであるとすれば,コピペについてマナーや道徳という点から禁止した場合,言われた側は確かにそれは「いけないこと」だと改めて思ってくれるかもしれませんが,心的に「操作」されているようなもやもや感が残るかもしれませんし,そもそも,「だからどうなん?」「コピペですが何か?」真っ向無視の斜に構えをするような類の人には効果がありません。

 コピペという技術自体に、善悪はない。そうではなく、コピペという手段をどのような目的で、どのような意識で使うのかで、善悪が分かれる。
 社会というのは常に、倫理と効率のバランスで進んでゆくものだ。インターネットが登場したときに、そのあまりの便利さに、倫理を越えて効率の良さが大きくクローズアップされすぎたきらいがある。
 そして世の中もまた、倫理よりも効率を重んじるように転換した瞬間が、過去にあったのだ。個人的にはネットバブルと言われた時期が、それにあたるのではないかという気がする。
 しかし社会というのは、必ず揺り戻しがある。企業にコンプライアンスが求められる中、企画書やリポートをコピペで出してくるような人間は、危なっかしくてとても使っては居られない。*1

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0808/18/news010_3.html

大学を卒業した後の就職は,(学校や学科により差異はありますが)多くの学生にとって大きな関心事です。
就職できるのか,就職できるとしてどこに就職できるのか,言い換えれば,卒業後自分で自分を養ってゆけるかどうか(生きていけるかどうか),ということは大きな懸念です。
丸ごとコピペは倫理的に問題だし,それを問題にするのは目前のlionus猫せんせいだけじゃなくて,会社(社会)もそうなんだよ,そして,そんな倫理的に問題なことを大学でやっていてどうするの,折角の(学生である)今,丸ごとコピペじゃないレポートの作り方を練習しないでどうするの,ということを心に置いて(あからさまな形で提示しなくとも)語ることは必要だと思いました。

*1:太字はlionusによる